私には一人、いとこがいた。名前は仮にMとする。彼女はいとこである。と、ある日母親から紹介された。
当時8歳だった私はいとこがなんなのかわからなかったが、わかったふりをして頷いた。Mは当時17,8歳ぐらいだったろうか。年の離れた姉のようなものが急に降って湧いたようで、興奮のあまり発熱した。
母親は毎月、一人暮らしのMのアパートを訪ねていた。主に平日に訪ねていたようで、半分不登校状態だった私もよく一緒についていった。Mの部屋にはベッドとラジカセがあったことを覚えている。椅子やテーブルがなく、ベッドに座ったら怒られた。カセットテープも何本かあり、達筆で小さくオフコースと書いてあった。母親の字とよく似ていて、その発見を伝えようとしたら触るなと怒られた。
Mを紹介された翌年、母親の入院が決まった。父親がいるにはいたが毎日酒を飲みタバコを吸いパチンコ屋に通っていたので、母親は心配に思ったのか入院期間中Mが家に来てくれることになった。
Mが家に来た初日。私がMの所持品だったか、触ってはいけないものを触ったらしく思いきり頭を叩かれ怒鳴られた。
母親のお見舞いで一緒にバスに乗ったとき「運賃箱」が読めなくて、Mに読み方を聞いて教えてもらったのだが「うんちんばこ」の「うんち」に反応してゲラゲラ笑ったら、火花飛び散るビンタをされた。痛さと恥ずかしさに泣いたら煩いともう一発くらった。優しいときもあったはずなのだが、叩かれた思い出しか浮かばない。特に運賃箱→うんち→ビンタの3コンボは昨日の事のように思い出せる。
なにかにつけて叩かれるので、もはや家は安全地帯ではない。私は学校に通うようになった。暴力が生んだ奇跡。
母親が入院して10日ほど経った頃、Mは突然私の通ってる小学校にやって来た。その日は健康診断で体育館への移動中だったと思う。先生はおらず子どもたちだけでわいわいと廊下で騒いでいたら、普段話さない女子からお姉さんが呼んでいると声をかけられた。見ると階段のところにMがいる。忘れ物でもしたかと彼女の元に行くと、普段話さない女子もなぜか一緒についてきた。
「もうあなたのお父さんとは一緒に暮らせないから出ていく。ごめんね」
Mはそう言うと私に千円札を握らせ、さっさと階段を降りていった。事態がよく飲み込めない私。手の平には千円札。
「いなくなっちゃったんだから、そのお金は大切にしなきゃ」
なぜか一緒についてきた女子が言う。その女子は当時は珍しいピンク色のランドセルとキラキラした名前を持った子だった。私は教室に戻ると、スカートのポケットに小さく畳んだ千円札を入れて体育館へ向かった。女子はもうついてこなかった。
家に帰るとMの姿も荷物も何もなかった。女子の「いなくなっちゃった」が実感される。父親が嫌でと言ったけど、私のことも嫌だったのだろう。悲しかったが涙は出なかった。
Mに捨てられて2ヶ月程して、母親が退院した。母親はMのことは何も聞かず、それから彼女がどうなったのか私は知らない。
Mからもらった千円札は、学校帰りにドラえもんの何巻かとお菓子とジュースできっちり使いきった。大切に使わなくてよかったと今でも思う。