今朝の新聞。
LINEなどのコミュニケーションツールの中で誤解を招く表現として「句点(。)があり、この句点を多用すると若者世代の間では、冷たく怖い印象を与えてしまうらしい。
そういえば、以前テレビでもそんなことが取り上げられていたことを思い出した。たしか、「!」や絵文字スタンプなどは相手の感情も伝わってマル。ただし、赤色の「!」は威圧的に映るから嫌われマークのようだし、顔文字を多用すると、おじさん(おばさん)構文とか言われるようで、もうアラフィフ世代な私としては理解するのが難しかったりする。
で、冒頭の「。」を多用するとマルハラスメントと言うらしく、「怒っている」「冷たい」といった印象を与えてしまうとのこと。記事によれば、昔は表現として句読点は使われておらず、明治時代になって日本語表記の基準が作られて以降、よく使われるようになったとか。
たしかに、点や丸を使わなくても意味が伝わるなら不要だよねと思う一方、あった方が読むリズムが生まれて読みやすくなったり、文の意味も汲み取りやすくなるので、短文、長文関わらず、個人的には付いていて欲しいなと思う。
「こんなの、くだらない」と言っちゃえば、それまでなんだけど、ただ、怖いと思ってしまう若者世代のことを想像すると、その「怖く感じる」という思いの向こうには、相手の真意を汲み取りたいという気持ちがあるんだろうなと思う。
生まれた時からネットがあって、小さいときからスマホやタブレットを触ってきたからこそ、見えない相手とのやり取りも多かったはず。少なくとも、もうおじさん世代な私なんかよりは、見えない相手が打った文章をよく見てきたはずで、相手が見えないからこそ、その文からしか相手の気持ちが読めないという状況になる。(顔の表情が見えてたり、声が聞こえたりすれば、そこから伝わってくるものもあるわけで)そういう環境であれば、文中や文末のちょっとした記号が付いていれば、気持ちが見えて安心するだろうし、それがないと不安になるってのも何だか分かる気がする。
「若者だから」とか、「おじさんだから」という理由でお互いを分断するんじゃなくて、価値観が違うからこそ双方に気持ちよくコミュニケーションできる工夫が必要なんだろうなと思うし、人生経験が積み上がってきたおじさん世代から、相手の価値観を受け入れて、率先して工夫できると良いのかなーなんて思ったりした。
わたしもLINEのようなやり取りから、ちょっとずつ取り入れてみようかな。