「なあ夏希。どうすんだよこれ。」
これ、と久我が視線を向けた先で、溶けかけのクリームを纏ったケーキがぐったりと横たわっている。冬至を過ぎたばかりの午前四時は光の気配を隙間なく隠し、純白であるはずのそれを闇色に染めていた。「Merry Christmas」ケーキ皿の端で難を逃れたプレートが、サンタの砂糖菓子が、行儀悪く机に伏せている僕を呆れた顔で見つめている。
今日は十二月二十六日、クリスマスの翌日だ。
今年のクリスマスは、久我がどこからか持ってきたクリスマスケーキ予約票を真剣に読み込んでいたところから始まっていた。何でも良いよ、久我の好きなやつ食べよう。僕が放った言葉はあまりにも無責任で、久我のクリスマス計画をより盛大なものにした。クリスマス当日。まず、一人暮らしでも余裕がある冷蔵庫を買ったはずなのに、幅が足りずケーキが冷やせない。次に、久我の両手には予定外のピザと手巻き寿司。ええと、今日のクリスマス会は二人で良いんだよね?聞くと、他に誰呼ぶんだよ。と真面目な声が返ってきた。
う、甘……もういいや。俺ももう無理。なんでこんなに大きいケーキ買ったの、僕のこと甘党要員だと勘違いしてない? でかい方が楽しいだろ。楽しいって何。こうやって一緒に苦しむのが? んな訳ねえだろ、もう喋んな。
そこからはしばらく無言の地獄が続いた。五、六人分はあるケーキを半分まで食べ進めて口直しのフライドチキンにも飽きてきた頃、久我が「俺、これ貰っていい?」とケーキの上のプレートを指してきた。このタイミングで大きなチョコプレートだなんて、クリスマスに対する本気度が違うね。横のサンタも食べなよ、言うと彼は丁寧な手つきでプレートとサンタを自分の小皿の端に置いた。そのままケーキには戻らず、箸休めに手巻き寿司のラップを剥がしながら「ここのスーパーさ、イベントのとき毎回同じ手巻き寿司なんだよ。でもほら、貼ってるシールだけちゃんとイベントに合わせてる」と得意気に語り出した。夏休みの間は花火のシールしか貼られない手巻き寿司のクリスマスバージョンを手にした久我は、色々な角度からシールを眺め、満ち満ちた表情をしている。僕はそれにうん、とか、良かったね、とか、差し障りない相槌を打ちながら救世主の苺にフォークを入れた。瑞々しい果肉がケーキを食べ進めるための勇気をくれる。それからもこれといって大したことは話さなかったけれど、緩やかな時間は続いた。照明代わりに映画を流していたはずなのに出演者が一人も思い出せない。そうして気がつけば、外を新聞配達のバイクが駆けていたというわけだ。
「……なあ、あのさ。」
眠くなったのかテーブルに顔を半分伏せ、温くなったシャンパンを手元でくるくるとまわし、テレビの光を拾ってキラキラと気泡を光らせながら久我が口を開いた。俺、来年も夏希とクリスマスケーキで胃もたれしてえ。
シュワシュワと炭酸の抜ける音だけが間を繋ぎ、真剣な視線が僕に刺さる。咄嗟に何か言おうとしたところで、二人で、と逃げ道を塞がれた。
二人で。随分かわいいことを言うようになっちゃって、一体誰に教わったんだろう。
「二人で過ごしたいならさ、来年は二人分の小さなケーキにしてよ。」
ケーキで胃もたれしてたら、そのあと僕とキスできないじゃん、今日みたいに。図星で照れてたのか、半分だけ僕に向けられていた顔は「うるせ」という呟きを最後に完全に隠されてしまった。僕がケーキを食べている間、何度もじっと唇を見つめて気付かれないとでも思っていたのだろうか。追うように肩を揺らしたり髪をよけてみたけれど、全然びくともしない。あーあ、グダグダじゃん。本当はケーキなんてさっさと片付けて、僕と遊びたかったくせに。
彼が迎えた初めてのクリスマスは、卓上サイズのささやかなツリーと大きなケーキ、フライドチキンとスーパーで調達したであろう数々の惣菜が主役になっていた。本来なら予約したケーキとシャンパンだけのはずだったのに、きっと街中を歩くたびに初めて見る色とりどりな世界に吸い込まれてしまったのだろう。馬鹿だなぁ、余所見なんかするから。いつの間にか寝息まで立て始めた久我が可笑しくて、気泡の抜けたシャンパンを一気に煽る。グラスの縁に残ったフライドチキンの脂がクリスマスの雰囲気を一層台無しにして、外を走るトラックの音が聖夜の縁を切り取っていった。
久我が一人でテーブルに伏せてくれているうちに、そっと隠し持っていた箱をケーキの隣に置いた。華やかにラッピングされたリボンの端が溶けたクリームの山に埋まったけど、まあ、久我だしこのくらい大丈夫だろう。寝室から毛布を持ち出して二人で被り、暖房の電源を切る。冷たい朝に毛布一枚じゃ全然足りないけれど、あとは久我が何とかするので大丈夫だ。
メリークリスマス。サンタを信じる前に大人になってくれてよかった、来年はもう少し考えてね。