伊達家と上杉家の家紋とワンドの2

tazn
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両家とも二羽の雀の家紋(竹があるかないかが違い)。これはさっきニュースレターに書いた話で、七十二候の「すずめはじめてすくう」に対応するタロットがワンドの2、それにちなんで紹介したもの。この候は春分(タロットだと皇帝)なので皇帝ならぬ戦国武将を引っ張ってみた。

ワンドの2で雀二羽、の時点で既に2の数字の共鳴は回収してるのだが、さらに上杉・伊達という二つの御家が似た家紋、というところに連動していく。縁談の話があったので家紋を分けたのだが、破談になって家紋だけが使われることになったとか。つながるはずだった二つの家がつながらないまま家紋だけ共有、しかもそれが二羽の雀であるとか、ワンドの2感がありすぎる(このへんはニュースレターに書きそびれた)。

今回の記事から暦とタロットだけじゃなく、そこにちなんだ第三の要素を放り込んでみた(家紋とか遠山の金さんとか歌川の浮世絵とか)。とっ散らかってカオスになってきたけど、この方が記憶に定着しやすい。びっくりするようなシンクロニシティが三つの候すべてに起きたので書けたのだが、それが今後も続くかは綱渡り。

今キルヒャーの本を読んでいる。キルヒャーはすべての宗教の源泉を探そうとして、いろんな別々の宗教・哲学における「三位一体」を対応表にした。あ、これクロウリーの本(777の書)とかで既視感…と思ったら、先にキルヒャー先生がやってたのね。クロウリーの777の書は世界のさまざまな神話や神秘主義のシンボルを一大対応表にするという試み。例えばギリシャ神話のゼウス=ローマ神話のユピテル、みたいな感じで、あれやこれやの神話の神様などを同一視しまくる一冊丸ごと対応表だけの書。ゼウスとユピテルは歴史的なつながりがあるけど、そうでもないものもガンガン突っ込んでいく。

これにどういう意味があるかというと、別々のものを繋ぎ合わせることによって「アレとコレが対応しているとしたらどういうことか?」という想像力が働き始める点。想像力はシンボル同士の共通点を増幅させ、互いに変容させながらまたそのシンボルに新しい力を持たせることができる。あるシンボルに対しての感受性を更新する作業だ。

だから単に対応表を作ったり眺めたりしてるだけではダメで、その対応を使って心の中で想像力を働かせなければ意味がない(みんな対応表そのものは大好きだけど、心でその一つ一つ辿っていく作業にはなかなか至らない)。そういうのをタロット暦の記事ではやっていかんとならん。今日は次の一歩が踏めたのでよかった。