iPad があって、今はほぼお絵描きマシンになっている。もうちょっと活用したいと思ってgoodnote で書いた手書きメモをobsidianに突っ込むショートカットを作ってみた。
自分はあまり問題解決ドリブンな占い師ではない。それを商売のメインにすると問題がなかった場合は問題を作り出していかないと稼げないな、と思ったため。さあこんな問題があるでしょう、さあ解決してみせますよ!となにもないところに問題を感じさせるような価値観を植え付けていかねばならない。表では問題を解決しながら、裏では問題を漁ったり作り出したりする、というのはストレス。
こういうのは繁盛している占いの館とかにいて、自然に向こうから問題を抱えた人がやってくる環境なら考えなくていい。そのまま問題解決の手助けをすればそれで仕事が成り立つ。しかし自分みたいにSNSから乗り込んできて仕事を作っていく立場だと、一歩間違うと危ういやり方に踏み込む危険性がある。
もちろん問題を抱えた人が相談に来るし、自分の仕事で結果的にそれが解決するのはよいこと。ただあくまで結果的にであり、よし問題を解決しましょう!という意識を持ってやっているわけではない。冷たく感じられる可能性もあるが、これは自分が占い師という仕事のダークサイドに陥らないためのブレーキになっている。
そうなると相談&回答じゃないところにも仕事を作っていく必要があって、そういうものはたくさんできたんだけど、それをやっているうちにタロットは占いのためだけに使うものではない、という考えも強くなってきた。
相談&回答じゃない仕事は、基本的には自分以外の人々にタロットを使ってもらい、それを継続してもらうことで成り立つ。なので、「それには(タロットを使うことには)どんな意義や目的があるのか?」をずっと考えてきていた。
しかし目的を持つとは、目的達成できていない状態に生じる問題をいかに解決するか、であるので、自分が意識しないようにしてきた問題解決型の仕事とあんまり変わらないのでは。
あるいは問題解決は問題を探さなきゃいけないのに対し、目的達成は目的を探せばいいだけだから、ない問題を作らなきゃいけないのよりは全然マシなのかも。価値観を書き換えるにしても、問題を感じさせるより目的を感じさせる方が健全。
とはいえ、そもそも目的を持ってタロットを使うこと自体がなんらかの限定を生むので、「目的がなくてもタロットを使っていい」が許されるのが最強なのでは?
もちろん目的があって限定があればそこにエネルギーが集中し可能になることもあるんだけど、そうじゃないとダメ、はない方がいい。目的はあってもいいけどなくてもいい。
目的がないのに続けられるのは、そこに喜びや発見があるから。目的よりも重要なのはそれだ。
こういうのをiPad でバーっとメモしながら考えていた。