タロットの歴史全体の中での立ち位置を考える

tazn
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タロットの歴史全体の中で自分はどんな立ち位置にいるのか、を考えてみる。そのために今の時代は過去のタロットの時代とどう違うか、を考える。二つありそう。

まず個人でできることが増えたこと。これは通信やメディアの技術の発達による。

インターネット出現以降、基本的に情報はオープンで、組織に入らなくても独学で情報が得られる。オカルト結社の秘密主義で情報が非公開になることは少ない。個人の情報発信も容易になった。

また、オンデマンド印刷出現により少部数印刷が可能になったこと。タロットデッキも少部数から刷れる時代。

さらにkickstarterなどクラウドファウンディング登場以降でもある。これで多くのタロットデッキが日々誕生している。企画がよければ資金が集まり、個人でもタロットデッキが作れる。

こうしたことはみんな「個人でできること」の増加につながっている。個人でタロットを学び、個人でタロットについての考えを伝え、個人でタロットデッキを作ることができる。

個人でできることが増えたのはタロットだけじゃなく他の多くのことにも当てはまるが、とりあえずこれが一つ。

二つ目。情報のオープン化により、タロットにまつわる俗説の虚実の判断も(やろうと思えば)かなりの部分において可能になった。ここまでは歴史的事実で、ここからは想像上の話、という判断(もちろん研究が待たれる部分はまだまだ多いものの)。

虚だから良くない、というのはタロット実践の世界ではあんまり関係がない。大体においては虚の方が大きな力を持っている。良くないのは虚を実のように見せることだか、それを「良くない」「嘘つくな」と判断するのは現代の合理的理性でしかない。タロットを取り扱う上では、虚を実と思っていた方がパワフルなことも多い。

葬送のフリーレンで、物を切る魔法を使うキャラクターが出てくる。何が切れて何が切れないかは、本人が「切れる」とイメージできるかどうかにかかっている。どんなに魔法防御力が高くても、それが布や髪など「一般的に切れるとされているもの」なら簡単に切る魔法が通用する。

このキャラのエピソードは魔術の根本に関わっている。タロットに関する虚の持つパワーもこれに近い。疑いがなければ虚は実になって機能する。虚と実を判別できるようになるのは、こういうパワーを失うことでもある。理性を手にした代わりに魔術を失う。

ただ、魔術の喪失は17世紀以降の合理主義・科学主義の発展からずっと続いている。タロットの歴史はそれに対する抵抗、魔術の力を取り戻す歴史としても進んできた(天王星発見による古典占星術の失墜とほぼ時を同じくし、入れ代わりでタロットは魔術化される)。それがまた脱魔術化してしまえる時代になった、ということかもしれない(じゃあこれからどうするのか?)。

で、こういう時代を前提として、そこにおける自分の立ち位置とは?ということになる。それはまたいずれ考えよう。

今日はタロットサークル手帳の製作作業、毎日のワークを埋めていく。前の号ではタロット本の引用を多用したが、少し小難しくなってしまったので、今回はいわゆる「今日は何の日」的な情報とそれにちなんだワークを増やしてみる。その方がタロットの外側に接続しやすい。