テンポラリーであるとわかっていれば、大聖堂をいくらでも建てることができる

tazn
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丸鋸が車庫からなくなっていて、多分しばらく前に盗まれていたのかも。先日のあやしいおじさんがあやしい。防犯カメラつけたから今後は大丈夫なはず。

丸鋸ないし風が強いしで屋根作業は一時停止。

部屋の片付け、古いメモを取り出して広げ、整理して捨てるものは捨てた。

メモは主にお勉強などのINPUTと、自分が考えたり発表したりに関するOUTPUTのメモに分けた。OUTPUT の方が分量が多い。

この辺はほぼタロットをはじめた以降のもののよう。数年前に考えていたことも、今見直すと限定的な考えの範疇に収まっているように見える。

タロットにはこういう原理・原則がある、だからこうなる、みたいなやつ。今見るとそういう原理・原則もテンポラリーなものだとわかる。「こういう原理・原則がもしあるとしたら」という仮定をもとにして何かを解説しているに過ぎず、その原理・原則が普遍的なもののわけではない。

しかしタロットにおいて仮の原則を立てることは重要な役割を持つ。それを土台にすれば、大聖堂みたいな概念や活用方法を建設できるため。ただし、それはあくまでも仮であって真理や普遍ではない。それがわかっていないと大聖堂はひとつしか建てられない。テンポラリーであるとわかっていれば、大聖堂をいくらでも建てることができる。すべてテンポラリーな大聖堂にすぎないのだが、一時的なものを永遠不滅だと言い張らなくてすむ。

テンポラリー(一時的)という言葉は、そういえばTAZNという名前のTがTemporaryの頭文字なのでもあった。THE TEMPORARY AUTONOMOUS ZONE(一時的自律ゾーン)、略してT.A.Z.というアナキズム?のテキストがあり、それに影響を受けて名前に取り入れた。