はじめましてとインターネットのうるささについて

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しずかなインターネットを始めた。

始めるにあたってまず思ったのが、このしずかなインターネットの製作者はおそらくニートであろうということだ。このサービスはよく出来ている。出来過ぎている。そしてその割に、お金のにおいが一切しない。偏見でしかないが、これは余裕資産のあるニートによる仕事だ。

何年も前から、日々の雑記を書き留めるwebサービスがほしいと思っていて、そのサービスを比較検討し、その結果なにも始めないということを何度か繰り返していた。blogは広告がうざい。そして各々サービスに固有の色がつきすぎている。noteも有力な選択肢であったが日々の記録を残しておくには敷居が高い。悪質な扇動屋や情報商材界隈の勢力圏という印象が強いのも大きなマイナスポイントだ。ならばドメインを取得しそこにスペースを設け日記を書くのはどうか。さすがにそれは面倒臭い。20年以上前はそうする他になかったとはいえ古(いにしえ)の人びとはそれをやっていたのだから大したものだが、動画全盛のこの時代に、SNSのこの時代にただ文章を書くための場所を個人で設けるのはいささか億劫であり、時代錯誤の思いがぬぐえない。

そこに現れたのがこの「しずかなインターネット」だ。さいきんのインターネット、デマだの炎上だの、「うるさい」ですよね?そこから少し離れて、ただ考えを書くだけの場所を、あなたに用意しましたよ!その名を題して、「しずかなインターネット」。勝手ながらそんなコンセプトがどこからか聴こえてくるような気がする。おまけにおしゃれだ。すこし悔しさを覚える。ceroに抱く反感にも近い。それゆえに使うかどうかを迷っていたのだが、結局使ってみることにした。使うのが合理的なのだ。

思えばインターネットは、そして𝕏(旧Twitter)は「うるさく」なった。昔はうるさくなかった。「うるささ」とはなんだろうか。うるささとはもちろん、音の大きさではない。文章の量でもない。‼️の多さでもなければ内容に込められた感情の強さでもない。うるささとは単位時間あたりの分量の多さ、それによる臨場感であり、同期してしまう自分の心であり、要するにつながりのことだ。昔の、特に2007年ごろのTwitterはうるさくなかったのだ。

だから昔はよかったと言いたいわけではない。どちらかといえば糞だった。嘘だと思うならお前のジイさんにでも聞いてみるがいい。あのころツイートをしていた奴らをつかまえてみろ、それでいくらかの小銭を渡してシャツをまくらせればきまってその右腕には青い小鳥の焼き印が施されているだろう。その焼印に鼻を近づければ酷い糞の臭いがする。だがその臭いは彼らの誇りであり、自分の糞がほかの誰にも似ていない自分だけの糞の臭いを放つべく彼らは生き、また死に、いずれにせよツイートをしていたのだ。

世の中には幸せになれる人間と幸せになれない人間がいると信じてやまず、そんな妄言を信じるような奴だから自分は後者に属すると決めつけ、右目で凝視した画面に右の親指でスワイプした文字を叩き込んだ。もちろんそんなことはない、幸せは正しい努力と正しい諦めに比例して手に入れることができる。だがあの頃の人間にとって幸せは0か100しかなかった、ひどい勘違いだ!そんな間抜けの集まり、それが𝕏(旧Twitter)であったが、𝕏(旧Twitter)は糞が糞であることを止めぬまま凝集し、一つの怪物じみた巨大な糞となった。こんなはずではなかった!

なにやら急に話が逸れたがそんなわけで、しばらくこちらを使おうと思います。どうぞよろしく。