いくつかある下書きを脇に置いてこの記事を書いている。YouTuberがいうところの「今緊急で動画を回しています」というやつだ。では重大事件が起きたのかというとそうではない。今年で一番しょうもないことは確定している。
先ほど、近隣に住んでいる知り合いのおじさんと出くわした。働いている様子がなかったので案じていたところ、挨拶もそのままに「男が恥を忍んで貴方にだけ打ち明けますが、この度そのぉ、生活保護をね、少しの間ですけども、受けることになりましたっ!これで三度目なんだけどさぁ。イヤァ、最近もう寝れなくて寝れなくて。働きにもいけないもんだから行き詰まっちゃってねえ〜笑 昨日もケースワーカーさんとあって沢山話しちゃってさあ。鬱じゃないかって?そう、そうなんだよね〜いや~流石によくわかっていらっしゃる笑 まあそういうことになりましたので。あ、そうそう言い忘れてた。もし僕がヤバいということになったらね、米だけでもいいので僕にください。米さえあればね、僕も生きていけますので」
念押ししておくが原文ママである。聞いたそのままを書いている。だから、無いとは思うが見られたら書き手は私だとバレてしまうし、その結果として殺されてしまうだろう。予防線を張るわけでは決してないが、この発言はすごいと思う。
まず、生活保護を受けるという判断がすごい。小馬鹿にしたような書き方に見えるかもしれないがそんなことはない。それはいま自分が支援を必要としているということを自覚し、その上で支援を受けることを躊躇わずに行動に移せていることを意味するからだ。これはなかなか出来ることではないと思う。
かつて私も若かりしころ精神的な不調がゆえに働けない状態に陥ったことがあった。そこで金の無心をした結果、金を貸すことはできないという返事と、生活保護を受けることを勧められた経験がある。自分がヤバいということを自覚できていなかったのだ。そして、支援がスティグマになるような社会であってほしくはないと個人的に強く思いはするが、その一方で生活保護を勧められたことが私には酷くショックでもあり、その衝撃で私は社会復帰を果たすことになる。だから私はこのおじさんを、私は凄いと思うのだ。
もちろん「ヤバくなったら米だけでもほしい」の発言にも、得も言われぬ凄さがある。「米だけでも」て。食べ物を一方的に要求しているにも関わらず、まるで譲歩をしてやっているとでも言わんばかりのこの言い方には歴戦の経験値を感じざるをえない。続いて「米さえあれば生きていける」と言うが、なぜ生かしてあげないといけないのだろうかとごく自然に思う。またそれは「米すらも無ければ生きていけない」という仄めいた脅しにも聞こえる。
そもそもの話として、一年ほど前に、時間を持て余しお金がないと訴えるこのおじさんに簡単な仕事を紹介したのが私なのだ。程なくして、このおじさんからはしばしば仕事の愚痴を聞くこととなった。お局がムカつく、若い連中の仕事に取り組む姿勢がなっちゃあいない、仕事内容があまりに底辺でやっていられない、などなど。まあそうかもなと思い耳を傾けるようにしていたのだが、愚痴を聞くことがここ数ヶ月なかった。心を入れ替えたのかなと思っていたが、とはいえ働いているようにもあまり見えない。さてどうしているのかなと思っていたところ、今回の顛末である。よくもまあ、米の無心を…これが還暦を超えたおじさんのやることなのかは少し疑問だ。
このおじさんのみならず、私はいささか図々しいと思える人との縁が多いほうだ。その理由は専ら、人間関係において私が聞き役に回るからだろう。何故かというと、自分のことを話したくないから、そのほうが楽なのだ。コストを払わず人との関係を結ぼうとする私もある意味、図々しいのかもしれないし、ひょっとすると時々妙な要求をされるのもそのツケを纏めて払わされているだけなのかもしれない。自分の生き方も色々考えさせられる出来事であった。