今年の東京国際映画祭で鑑賞できたのは二本だった。今回は「士官候補生」を筆頭に「私の好きなケーキ」「FUKUSHIMA with BÉLA TARR」など見たい作品は山ほどあったものの、その殆どが都合と合わず見ることが叶わなかった。劇場公開日が決まっているものなども優先順位を下げた結果(当然の如く)見ることはできず。「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」、楽しみにしている。
見ることができたのは以下の二本だった。
海で泳げない鯨
180分の長尺。長回しで綴られる映像は圧倒的に時間・空間としての映画体験だった。この映画は極端に台詞が少なくて、ストーリーも(エンタメとして面白いような)さしたる起伏があるわけではない。山奥のホテルで青年が写真家の女性に出会って淡い恋のような交流を持つ話で、ただその人生を垣間見る作品のように受け取った。
上映後のQ&Aで監督が「この映画は殆ど自伝だ」と語っていたことにはとても納得できた。一方で製作者の私的な感情を多分に含んだ作品だからこそ「あなたの物語」になり得るものでもあると思った。私はこの映画を「他人の人生を垣間見る」姿勢で楽しんだが、他方で「主人公の青年になりきって見た」という感想もあって、そう考えて見ると確かにこの作品を「受け手にとってパーソナルなものにする」ことはかなり意識されているとも思った。普通に「完成された物語」としてこの映画を見ていると少し腑に落ちない箇所があったりするのだが、それについても監督が「如何様にも受け取ってもらって良い」という内容のことを言っていて、これも非常に納得がいく解説だった。
とにかく全体的に「この映画の中で起きている物語」として楽しんでもいいし、登場人物たちに自分を重ねて見てもいいし、あるいは知っている誰かを思い出させる映画であってもいいのだと思う。このへんは自分の中では山田太一の「異人たちとの夏」に感じたものに通じていた。
あと作中では誰かしらが常に煙草を吸っている。自分は喫煙しないのでこれはイメージでしかないのだが「ちょっと一服……」とは「限られた時間で生産的なことをしよう!」という行動ではなくて、吸うことにより何らかの気持ちが整って、あるいはただぼーっとするとか、そういう時間の使い方なのかなあと思うので、そういうイメージで見る喫煙シーン、長い長い長い喫煙シーンは本当に良かった。
そのほかにも監督はこの作品が三時間もの超尺に及んだことについてもQ&Aで回答していて、「時間はその経過とともに自分を見つめ直し、それによって現れる自分を発見することができるから」ということを語っていたのが印象的だった。
ファイヤ―・オブ・ウィンド
ポルトガルの葡萄園で働く農民たちが、暴れる黒い雄牛から逃れるために木に登り一夜を過ごす話。地上を暴れ回る雄牛が政権で、それから逃れるために木に登る人々…という構図はとりあえず理解でき、木の上で自由もない人々が地上の悪政をなすすべもなく見下ろしているというのも面白かった。
夜がふけるにつれ、木の上で人々はサラザール時代の記憶を口にしたりする。一人語り同士がかち合って絶妙に会話になっているようないないような、空の色がだんだん変化していくのにつれて現実なのか夢なのか過去なのかわからなくなってくる。血の赤、ポルトガル国旗の半分超を占める赤はずっとあって、鋏で手を切った少女の血、ボトルからどくどく流れ出す赤ワイン、ピクニック(?)のランチョンマット、ほかにもあったかもしれないけど、そうやって差し込まれる赤の印象が強烈だった。
そもそも、全体的に映像がとても良かった。葉の茂った葡萄の木々の裏にカメラがあって、その隙間から通路を通り抜けていく収穫機とその轟音を撮るシーン、あまりにも好き過ぎる。木の下を走り回る雄牛が急にどかどかとフレームインしてきて、また出ていく絵も良かった。
そんなふうに要所要所へは強烈な印象を抱いたものの、一度見ただけではとても消化しきれない作品だった。これは自分がポルトガルの歴史というか精神性をよく知らないことも多分に影響していると思うので、その辺もどうにかした上でもう一回見る機会があればと思う。あとプロデューサーにペドロ・コスタが名を連ねているんだけど、ペドロ・コスタに入門していないのでそのへんの機微も感じ取れず。Blu-ray何か買うかな。どこから手をつけたものだろうか……。