いわゆる「ゆるい」職場の「揺るがし難い、強固なゆるさ」というものの話をしていた。このゆるさが服装・休憩・有給消化率(一部の大企業群を除けば、この点は企業風土・環境に左右され得るという意味において敢えて入れる)のような部分に対してゆるい分にはいいのだけれども、そうではなくて「適当、いい加減」の言い換えとしての「ゆるい」職場の場合、これは結構面倒くさい場所であることが多いのではないかと思う。
この「適当、いい加減」さが特定個人の(本来的な)気質ではなく「真面目にやってもどうせ給料が上がらないし、頑張っても無駄」のようなマイナス経験に加え「それなり、時々かなり適当でもクビにならずにやれている」ことが噛み合った結果としての意識が集合し、醸成された場であるところの「ゆるい」職場、平時はともかく問題が起きたときに解決に向けた策を講じる雰囲気が薄い。そしてこういう環境が新たな「適当」人材を呼び込むことになり、新たな問題が発生し、特に解決もせず……という循環を生む。これは自分の経験則でしかないが、こういうタイプの「ゆるい」職場の適当さは一方では大好きなのだけれども、働いていて楽しいかどうかで言えば、その意味ではやっぱり面白くないなあと思ったりする。
力のある会社には人も金銭も集まり、それによって得たものが更に人と金を呼び力を増していくのだというごく当たり前の話をしみじみとした。これは厳密には単純な企業規模の話ではなくて、やる人はやるがやらない人はやらないといった観点に落ちてくるのかもしれないが。やりたいができないという段階も当然あるとは思うのだけど、なんだ。ちっともまとまらないな。