このあいだ「あそこの家の人は……」と言おうとして「あこんち」と言ってしまい、大いに笑われた。いわく「『あ(そ)この家』と言っているのはわかるが、自分では言わない言葉だから面白かった」そうである。「あこんち」という表現を頻用するのは主に新潟県長岡市の人々であると思う。自分の出身はここいらではないのだが、少なくとも中越から下越の一部地域に至るまでは、ある程度馴染みのある言葉ではないだろうか。
新潟というのはいったいどんな方言を話すんですか、東北弁なのか標準語なのか、それとも全く違うのか、そういうことをたまに訊かれる。しかしひとくちに新潟と言っても面積が広く、しかも南北に長いので「どんな」と説明するのも難しい。山形に隣接している方はおよそ東北の言葉に近いだろうし、富山と隣り合う地域はまた全然異なるだろう。その中間あたりの地域はどうなのかといえば、半分は信州の言葉とニュアンスを共有している(と個人的には思っている)。佐渡は佐渡で、昔西から島流しにあった人々の文化を継いでいると言うから、今でも多少はそんなところもあるのだろう。
だから近年「ゴールデンカムイで月島とか鶴見が話しているような感じの調子です」と言う説明が可能になったのはだいぶ具合のいい話だった。
だけどあなたはちっとも訛りませんね、とも言われる。しかし、それはそうなのだ。今や誰でもこの国のスタンダード言語もとい文法を知り過ぎており、扱いに長けているにしろそうでないにしろ、相手に伝わらないとわかっていてわざわざ発語しないだけの話なのであって。
東京で暮らすようになってから地元へ帰ったとき、「マンガの家」に置いてあった高野文子の「黄色い本」を人生で初めて読んだ。作中の登場人物は皆方言を話すのだけれども、高野さんは新津の方だから、そのあたりの色が強い言葉なのだろうと思う。私は本を読みながら、物語の面白さはもとより、ここに書いてある言葉がわかるというだけで涙がこぼれた。本当に、その場でぼろぼろと泣きながらこの漫画を読んだ。のちに佐藤真監督のドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」を見たときも、同じ理由でときどき泣きそうになったのを覚えている。この言語感覚は、自分の中で失われ難いものとして生きていくのだと思う。今はまだ東京に生活して、都民のことも大概の場合、好きだけれど。それでも自分はいつまでも都民になれない気がしている。