さんさんと照りつける陽光に晒されて、中学校の裏手にある手洗い場はすっかり乾いていた。べつの一画には学習椅子が無数に積み上げられていて、一見するとまだまだ利用できそうなそれらが、なぜ北側の暗い土の上にそうしておかれているのかはわからない。横には物置があって、畳まれた段ボールと色褪せた畳が怠そうに立てかけられている。あたりにはメーカーのロゴが入ったボトルクレートが無数に散らばっていて、そういう畑みたいに見えた。
気温の高い夕方を歩いている。知らない会社の事務所。この建物はかつてコンビニだった。側面には、壁を背に金網で三方を囲ったスペースがある。ちょうど自転車が一台止め置けるくらいのスペースで、まさしく自転車が一台その中へ止め置かれていた。そういえばコンビニに行くと建物の脇へこれくらいのスペースに台車やこまごまとしたものが積み置かれていたようにも思う。けれど思い出せない。はっきりと物事を考えるには、あまりにも気温が高い。
アパートの白いベランダにからのピンチハンガーがふたつ下げられていた。一つは青で、もうひとつは水色だった。同じものの片方が色褪せたようには見えなかった。どういうわけでこのふたつがベランダに並ぶことになったのか、信号待ちをしながら考える。青と水色と白のほかになんにもないベランダは、知りもしないのに懐かしいような、理想的な夏だった。
その足で図書館へ行って「失われた時を求めて」の一巻を借りた。あさにカズオ・イシグロの「特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー」をまた読んでいたからだった。この講演文をもう幾度となく読み返しているにもかかわらず、イシグロに転機をもたらしたというこの長い長い物語を読んでみようと考えたことがなかった。それが急に気になり出したので、少しずつページを繰ってみることにする。(2024.09.11の日記)