冬の終わり

瀬崎 鵜
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川鵜の姿を見なくなり、いよいよ冬が終わってしまったのだという諦めが身体に満ちている。朝晩の冷たい水に鵜を見ている間、他に何物もなくても言葉が思い浮かんだ。気温が上昇するにつれ、自分の中からそうした衝動が消えていくのをわかっていた。春も夏も楽しみはあるのだが、出来ればここから冬になるまで眠っていられたらいいのにと考える。そういう悲しみを幾らかでも和らげるために梅雨があるのかもしれない。

先週にはまだ花の咲いていた桜の木が今日はほとんど緑の葉ばかりになっているのを見た。公園のベンチに座っているとき、脇へ置いたスマートフォンの暗い画面に、緑の生い茂る木々の隙間から太陽が放射状に虹色の光を放っているのが映っていた。風にさざめく葉の揺れが画面の上を水紋のように広がっていくのを見ながら、自分もこの虚像の一部になれないだろうかと考えた。