過去を思い出している。過去に縋り、どうしても離れられなくて、そうやって生きている。いくら、ここまでの過去で自分が形成されているとは言えども、そろそろ未来を見なくてはいけないな、と思う。
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Agust D、本名はミン・ユンギ。ラッパーで、音楽プロデューサー。今では世界のBTSのメンバーとして名を馳せているけれど、その過去には色々な苦労があったことで有名である。
セルフタイトル「Agust D」に収録された"마지막(The last)"にも、その過去はちらつく。対人恐怖症、鬱、強迫性障害、肩の大怪我……。Agust Dという名前を使うときの曲は少し攻撃的で、そこには葛藤や苦しみが垣間見える。18歳あたりで対人恐怖症になったと、歌詞では言及しているが、今の自分と同い年だった18歳のユンギさんは、なにを思いながら生きていたのかな、と考えてみる。想像できるはずもなかった。
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正直に言おう。音楽と人生の話、なんて謳いながら、こうやって人の苦しみに共感するふりをしている自分のことが、心底嫌いだ。ミン・ユンギの人生と自分の人生がリンクしているわけがなく、こう語ったところで、誰の苦しみが減るわけでもない。大体、世界で活躍できるレベルまで努力した人間のことを、その辺の地面でくたばっている人間に理解できるわけがないじゃないか。そう分かっていても、自己満足のためだけにこういうことをしてしまう自分が、嫌いだ。そして、他人の作り上げたものをなぞって生き延びることしかできない自分のことも、本当に嫌いだ。
それでも私は、書いている。人の言葉を引用して。いつか私も、私の言葉でなにかを書きたいと思う。だからそれまでは、他人の言葉を借りてしまうけれども、早くいろんなことを、自分の言葉で書きたいと思う。
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―죽은 열정과 남과 비교하는 게 나의 일상이 되 버린 지 오래(死んだ熱情と他人とを比較することが俺の日常になって久しい)
ずっと、そうだった。自分の中で死んでしまった熱情を、他人と比較している。死ぬ前の熱情を思い返して、ああそんなこと私にもできるよ、なんて思ったりもした。
他人からみたら、私などなんでもないと思う。どこもおかしくない。事実、私はどこもおかしくない。ただ不幸がっている大勢の人間の中の一部だ。この間吐き気が続いて病院にかかったときも、医者にも「どこもおかしくないと思うことが大切です」なんて聴診器も当てずに言われたりして、私はどうしようもなくなった。世界中の人がこのような大したことない苦しみをもったままなんでもない顔をして生きているのに、どうして自分はなんでもないふりができないんだろうと、そう思った。
起点は分かっている。でも、そこからどうしてそうなってしまったのかが、分からない。
おそらく、熱情が死んでしまったのは、高校受験が終わってからだ。燃え尽き症候群、とかではないと思う。高1の6月まではちゃんとやれていたから。一生懸命生きて、演劇会とか運動会とか、そういう行事も一生懸命やろうとしていたところで、先に身体がおかしくなった。しばらく入院するくらいだったのに、結論としては、なんでもない、本当に検査してもなんでもない、ただの片頭痛。あのときから私は、なんでもなかったんだと思う。気づいたら、熱情は死んでいた。ずっと保ってきたはずの炎は、いとも簡単に、それもいつの間にか、死んでいたんだと思う。
自分の熱情が死んでいることを受け入れられなくなったのは、もう少しあとのことだ。なにもしないし、なにもできないから能力は劣っていくのに対して、プライドだけが残っていた。
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―그때 난 성공이 다 보상할 줄 알았지(あのとき俺は、成功が全てを埋め合わせると思ってた)
中学生のとき、今の自分を変えてくれるのは、高校受験でよい高校に入ることだと、そう思っていた。今通っている高校は、偏差値でいえば多分トップレベルだし、そのまま続いている大学だって、わりと名の知れている大学である。だから私は、あのとき、人生が成功した、これで幸せになれる、と思った。成功が全てを埋め合わせてくれると、そう思っていた。
高校受験は、確実に私を変えた。でもそれは、思っていたような変わり方ではなく、あのときの自分がみれば、落胆してしまうようなものだろう。輝かしくなんかなくて、一刻も早く、どこかへ逃げたいと思っている。
考えてみれば、成功だと思い込んでいたものは、ただの通過点でしかなく、まだまだ幼い自分の一過程でしかなかったのだろう。高校受験などというものは、なんでもないのだ。今ならちゃんと分かる。それでも、あのとき、人生が高校受験にかかっていると信じて生きていたとき、死ぬ気でやるしかなかったから、そこが全てだと思い込んでしまうのも、無理はないよな、という思いもある。
「あの時俺は、成功が全てを埋め合わせてくれると思っていた」
ユンギさんのその叫びは、私の中に響いた。でも、私の成功が成功ではなかったと気づいた今、私はどうすればいいのだろう。この歌詞に共感する、と言うこともできずに、ただ死んだ熱情を抱えて生きていくしかないのだろうか。
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―누가 나만큼 해(誰が俺と同じだけやれるっていうんだ)
強かった。ユンギさんは、強かった。
この言葉を聴いたとき、変な話だが、ユンギさんに負けた、と思った。ずっと負けていた、というか勝てるわけないのは理解しているけれども、最終打撃を与えたのは、この言葉だと思う。それを口にできるほどの努力が、自信が、自分にはなかった。でも、同時に、こうも思う。
いつか、絶対この言葉を口にできるくらい、強くなるんだ、と。
結局のところ、どこまでも負けず嫌いなのか、他人と比較しつづける癖は治らない。だから、何度も比較しては、戦おうともしていなかった試合に何度も負けている。でも勝つためには、努力するしかない。いつも頭の中にだけその思考があってどうしようもないのだけれど、大学進学という新しいステージに上がろうとする今、私はもう一度、やり直すチャンスをもらったのだと思って、しっかり努力しなければいけないと思う。
世界中にはいろいろな人がいる。私がなにもしなくたって、世の中は回っていく。その中で、あなただからいいんだよね、と言ってもらえるような、そんな人間に私はなりたい。