思い出の文具屋

techocho
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京都の文具屋「裏具」さんが閉店。

この事実を知ったのはつい数日前のこと。

大袈裟かもしれないが椅子から転げ落ちるとはこのことか、というくらいショックを受けてしまった。

閉店されたのはもう2年も前のことらしい。

知らなかった…。

そんなに頻繁に通っていたわけではないけれど近くに用事があれば必ず寄るというくらいお気に入りのお店だった。宮川町の路地裏にひっそりと佇んでいて、店内もそんなに広くはない。お客が4、5人ほどいればいっぱいになりそうなくらいのスペースだったと思う。日本の伝統的な文様が描かれた文具には気品があって、特別な時に使いたいと思うような物ばかりだった。

裏具で買った便箋と封筒はまだ残っていたはず、と慌てて探して見つけた。一見真っ白だけど隅っこに小さく蛙の図柄が型押しされている便箋。縦書きの罫線も型押し。どちらも光にかざすと透けて見える。

最後にこれを使って手紙を書いたのはいつのことだったか。

思い出した。主人と結婚する前のことだ。祖母に宛てて書いた。

私が生まれた地域の結婚式は親戚友人知人を200人くらい集めて盛大に挙げる、というのが習わしのようになっていて従兄弟や友人の結婚式もそうだった。でも私はそういう派手な結婚式に乗り気ではなかった。

理由は2つ。一つは支出を抑えてフォトウェディングで済ませたいということ。もう一つは当時既に別居中だった両親を並んで座らせたくないということ。両親にも周りにも気をつかわせたくないし、私も気を使いたくない。その時の私は両親の関係に疲弊していた。

コロナ禍よりずっと前、まだ結婚式をフォトウェディングで済ませる人というのが少数派の頃だったけれど主人の両親は快諾してくれて、私の両親にも説明して理解はしてもらった。

ばあちゃんはどう思うだろう。

祖母は優しい人だ。私がそうしたいならもちろんそれで良いと言ってくれるだろう。ただ昔気質の人でもある。現に両親の別居は仕方ないとしても離婚には反対し続けた。

簡単に話して終わらせてはいけないような気がして筆をとり、裏具の便箋に自分の気持ちと申し訳なさを詰め込んだ。

その後無事に私と主人は2人だけでフォトウェディングを挙げる事ができた。写真を送ったら祖母もそれはそれは喜んでくれたらしい。

それから月日は流れ、祖母は天寿を全うし亡くなった。

後日、遺品整理の手伝いに行っていた母から電話があった。

「あんたがあげたバッグ、きれいに包みに入ったままとってあったよ」

祖母に結婚祝いのお返しで西陣織のバッグを贈ったのだった。勿体無くて使わないままだったのだろう。倹約家の祖母らしい。

「あと、手紙が出てきた。真っ白な封筒の」

あの手紙だ。裏具の便箋と封筒で書いた私の手紙。そう思った瞬間にはもうボロボロ泣いていた。お葬式では実感もなかったし、高齢だったこともあってしめっぽくはならなかった。なのに。

祖母は私の思いをきちんと受け止めてくれていた。手紙を送ってもう何年も経つけれど、そう思ったら泣けたのだ。

裏具さんの閉店は本当に寂しい。

でもこういう思い出を残してくださったことに心から感謝しています。

あの時、祖母に手紙を書いてよかった。

残っている蛙の便箋は次に訪れる人生の大事な局面で使うと決めています。

大切に心を込めて書く相手のために。