納得、という単語は意味合いのわりに響きがかわいすぎる

tokoi
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・月曜

次のコースの準備が大詰め。来週には第一弾の告知を始めたいというのが念頭にあり、少し焦る気持ちを抑えながら手を動かす。だいたいは整ってきているものの、盛り付けと、モクテルの味について、まだもう一歩改善できるような気がして、設計図を書いたりプレーティングを試したり味見をしたりレシピを書き換えたり。なかなか納得できる仕上がりにならなかったり、決定版のレシピにたどり着けなかったり、こうしてこねくり回してうなっているときというのは苦しいけど幸せで、最も楽しいパートでもある。たかが一杯、たかがひと皿に、まだ何かもうひと工夫できるのではないかと考え続けている。終わりがない。食べたら無くなってしまうようなものにこんなに固執するのってたぶん人間くらいだ。ちょっとだけ人間でよかったと思う。

こういうばかみたいな大きさのものさしで捉えると、自分(を含んだ集団)をよく思うことができて、気分を上向かせるのに役立つとこの前気づいたので意識的に使ってみている。(スケールを誤って、まあ結局何もかも意味なんてないんだぜという気持ちが膨らんで逆効果なときもあるけど。)

・水曜

家族が腰を痛めて、整体通いをすることになった。その様子を見て、自分も日々ストレッチなりなんなりケアをしていかないといけない年齢だよなあ、実際に肩やら腰やら微妙に痛いし、と。特に、自分がいなかったら店は開かない、代わりの効かない状況に置かれていて、しかもこれをできれば何年も何十年も続けたいと思っているのだから、もっと身体を労らねばと反省。

・木曜

この頃小説を読んでもなんだかその本に広がる世界に没頭できず読書が捗らない。これはなんだろう、あまり自覚がないけど、自分は今文字が読めないほど実は弱っているのかしらと思っていたのだが、今日たまたま目についた倫理学の本をぱらぱらめくってみたら面白く、ものすごい勢いで読めた。なるほど、文学ではなくて学問を欲していたのかと腑に落ちた。

・金曜

丸の内線と東西線間の乗り換えのとき、駅ビルにある花屋さんの花を横目に眺めるのが好きなのだが、ラインナップがだいぶ春になってきた。チューリップなどの切花だけでなく、鉢植えのムスカリやヒヤシンス、クロッカスも並んでいる。鉢植えも売るんだ、と驚く。今年はもう間に合わないけど、こんどの冬はヒヤシンスか球根を買って、水耕栽培で育てたいな、と、やりたいことリストにメモ。鉢植えの植物をもっとたくさん増やしたい気持ちがあるけど、ここにずっと住むわけじゃないかもだしなあ、と思って、昔から過保護に育てているふたつのコーヒーノキの他にはここ数年増やしていない。でもやっぱり増やしたいなあ、と、何年経ってもずっと頭の片隅にある。なんで私はこんなに植物を育てたいのだろう。納得のいく理由を探しているのだけど見つからない。どうでもいいが納得、という単語は意味合いのわりに響きがかわいすぎると思う。

@tecolote
気が向いたとき、日記を書いています。