一年以上かけて磨いてきたアイデア。自分には力が不足しているからと一年以上と年収の半分以上の完全実費による投資。
人生の大事な一部を捧げてきた企画であり、自分の信念も直接載せられる企画でもあり、社会全体に必要なものでもあり広く悩める人たちに視する企画でもある。そんな企画をずっと温めてきた。だけど、僕のプレゼン能力と戦略能力が低いせいなのか、なかなか開始まで漕ぎ着けられない。そんなこんなで早二年ほどだろうか。
やりたいことを平たく言うと「数多ある頑張っている大人、もがきながらも戦う大人たちの背中を描くこと(伝えること)」これは自分の信念に直結する企画でもある。そこには僕の大きな想いがある。
頑張っている人が正しく頑張れる社会であって欲しい。一部の正しい頑張り方が身についている人や、頑張ってる感を出すのが上手い人だけが甘い思いをするのは悔しい。
僕自身もそんな思いをすることが多い人生だった。しかし、それと同じかそれ以上の歯痒さを感じさせる友人や先輩、後輩もたくさん見てきた。僕はエリート育ちでもなければ自分がとりわけ知力に秀でた存在でもない。だからこそ彼らのような人たちをたくさん見てきたのかも知れない。
もちろん、何とかして彼らだけでも好転させられないかと、当時の僕が、無いなりながら持っていた力の全てを使ってサポートしてきた。古くは父の働く会社が父からの人材紹介を求めていた時にその友人を紹介したり。ある時には知り合いの浪人生が論文試験の勉強へ独学で励んでいた際、他の受験生はやれ学校の先生だの予備校の先生だのに正しく丁寧に指導してもらっている中その子の文章があまりにも論述からかけ離れていたため、可能な限りの時間を使って指導に徹した。そんな時もあった。悔しいが彼らはその就活や受験といった最初の目標は達成できなかった。彼らが一番悔しかっただろうが、僕もすごく悔しかった。ただ一つ、その後になって「あの時はダメだったけど、あの時のお陰で次に挑戦した〇〇うまくいきました!本当にありがとう!」と感謝の言葉をもらえたことは素直に嬉しかった。
でも、やはり僕個人の力では「頑張ってるけどなかなか報われない」状態にある人たちを十二分に救うことができないのだと悟った。昔から現在に至るまで僕自身も全然力が足りないと自覚している。学びと研鑽にも執着してきた。新たな学びを確保することを一日たりとも忘れたことはない。一回読んだだけでは理解が難しい書籍や論文、レポートには毎日目を通し、収入の半分以上をせっせと貯めて高額だが信頼のある講座を半年かけて受講することも次に次にと継続している。また、読んだり勉強するだけではなく成果物を作りアウトプットにも励み続けている。恐らく先程の二人があの時と同じ苦しみにいたとしら、当時よりもさらに洗練されたより良い助言をかけてあげることができただろう。一緒になって今進むべき最短距離を考えることもできるだろう。
しかしながら、今の僕が最大限に彼らのような人たちに資するには何をすべきなのだろうか?
話を聴いてあげること?コーチングのようにその子の深い内面を掘り起こして生きる力と方向性を掘り起こすこと?安全・安心の場を作りその場だけでも全力を出せるようにすること?調査研究に努めて社会へ訴えること?
いずれも経験がメインだが一応の心得はある。時間をかければ実現できるとも思う。でも、時間が非常に足りない。コーチングのようなことを実行するにはコーチングに関する認定を受けないと信頼してもらえない。調査研究に努めるにしてもまずは調査可能で一般化可能性を担保できそうなフィールドを一から開拓しなければならない。既にフィールドを持っている人たちは熱意や信念だけではびくともしない。気持ちだけの人間はごまんといるからだ。もちろん、必要とあればこうしたアプローチも全然とる。
だけど、それではたったひとりの力に過ぎない。そんなもので社会全体へ響かせられるよな救いは届けられない。
じゃあ、Youtubeや、今この文章を書いているテキスト媒体のような公共の電波に僕の考えを乗せたら良いのか?いや、最大数でも10億人以上いる日本人のなかの200〜300人の自分の知り合いに広めたところで(しかも殆どの知り合いは上記のような困りごとに直面していない)何の意味もない。今公開されて いるこの文章があったところで共感してくれる人が全然増えないことだろう(...とはいえ、言わずにはいられないため、この文章を書きました)。
結論から言うと、一人一人の頑張る姿が全面に浮き出たテキストのクリエイティブを生み出すことが理想なのではないか?
頑張る姿と異なるがよく見られるものが合格者インタビューやキャリアインタビュー。輝かしい大学に合格した人や輝かしいキャリアを築いた人のインタビィー。こうしたインタビューはもちろん素晴らしい。輝かしい人たちの存在を知ることで頑張ることに対して希望がもてるし、何より見ていて楽しい。ある種幸せな気分にもなるだろう。
ただ、こうした合格者インタビューやキャリアインタビューにも欠点とならざるを得ない点が残る。インタビュー記事として掲載される人は、軒並み成功しているということだ。金持ちとしてではなくとも、学生としてであったり、仕事に充実する会社員としてであったり。
でも、僕が見てきた人はそこにはいない人。必死で勉強に励むけど試験合格には届かなかったり、仕事に励んではいるけど効率化が難しかったり周りとの関係性と戦うことに精一杯であったり。決して少なくはない量の頑張りを続けているのにも関わらず全然前に進めない人。
そんな人の背中を広く多くの人に届けすることができたら、真に応援してくれる人も出てくると思う。少なくとも僕だったら応援したい。その方法も、クラウドファンディングのような金銭に必ずしも限定しなくていい。自分の得意分野から助言を送ったり、自分の知り合いでちょうどマッチする人を紹介してみたり。かつて僕が試みたことのちゃんとした版が届けられるだけでも御の字すぎる。
社会全体に潜在する不特定多数の「頑張りが報われない大人」たちが救われる社会であって欲しい。そんな大人たちの背中が広くたくさんの人たちの目に止まる社会であって欲しい。そうすれば、頑張っている大人たちだけでなく、これから頑張る若い世代、もしくは頑張る意味への理解が不完全な子供達、例えば「勉強する意味がよくわからない」状態の子供たちに頑張る大人のイメージを提供することができる。頑張る大人の背中をたくさん見た子供達は、大人に対して敬意を持つことができるし、そんな背中から、教科書や予備校では学べないけど大切なことを大いに学ぶことができる。環境による格差もある程度は埋めることができる。
だからこそ僕は、頑張る大人の方々の背中を伝えたい。一人一人へ丁寧な文章を持って描きたい。
....実はそんな夢を実は持っている。実現したら最高。志の共通する人がいたらさらに嬉しい。この志を果たしたい。まずは快く協力してくれる人を探して、ひとりひとりに丁寧に向き合い描いていくことが必要。自分でも手を動かしつうtも、同志や協力者が一人でもいて欲しいことを切実に願っています。