心が病みがちな時ほど真面目な思考から抜け出しにくい。
そう言われたりもしますよね。真面目なのは悪いことでは無いと思いますが、ネガティブな側面がどうしても伴ってしまいますよね。自分に対しても、周りに対しても。
「私がこんなに頑張ってるのに...」
「俺、何が悪いの...?」
「僕はやっぱりだめな存在なんだ...」etc.
僕も陥ることがあります。周りからすると「気分転換したらどうか」「誰かに話してみてはどうか」「下を向いても何も落ちてない、顔を上げて行動してみよう」など、思う物があるかも知れない。こちらも同じく僕も思うことがある。
しかしながら、本人は自分の中で必死の状態であり、だからこそ現状を変える行動に対して腰が重い。この点を薄っすらとだけでも理解していただけると、本人は少し助かるかも。
とは言え、心が病みがちな状態の人にはいち早く回復して欲しい。自分が心を病みがちになったらすぐに回復できる道筋を確保したい。そこでいろいろ考えてみたり過去に知ったノウハウを遡ってみたところ、これ良いなと思ったのが...
「感動エネルギーを蓄える」こと
簡単に言うと、たくさん感動すること。感動的な映画を見るのも良し。スポーツの大会や芸術のコンクール、制作活動のような活動に必死になって取り組むも良し。とにかく感動を追い求め続けてみる。
最近だと例えばNetflixの映画やドラマなど、手軽に感動体験へありつけるサービスもあったりするので必ずしも難しいことではない(次第にNetflixのAIが僕たちの心理的な状態を察して感動映画を作る、個別カスタマイズ的に生み出される作品も出てきそう)
一説では「感動する」は、「笑う」や「寝る」よりもストレス解消の効果が高いとも言われていますね。また、一部の界隈では「涙活」と呼ばれる泣くための活動があるのだとか。涙活まではいかないにせよ、絶えず感動を求めることにはメリットが多い。ストレス解消はもちろん、複数のポジティブな効果があるそうだ。三つほど、僕なりに考えてみたものではあるがあげてみる。
① 感動体験は感情の動きを確保する:冒頭にお話した心が病みがちな状態の時ほど、喜怒哀楽の変化が少なかったりする。逆に、喜怒哀楽それぞれが十分に発散できる状態であれば、ストレス発散効果も高い。オーバーリアクションの人っていつも元気そうですよね。こうした感情が大きく変化できる状態を保つ予防策としても感情体験は活きるのではないか。
② 感動体験は記憶に刻まれる:トラウマとは逆の記憶。トラウマは嫌な記憶を嫌でも思い出してしまいますが、感動体験はポジティブな記憶として何度も思い出すこともできる。感情が大きく動いた出来事とは心に残るできごと。テレビやSNSで推してる人をリアルで見られた時、学生時代の卒業式などの記憶は、何年経っても思い出せますよね。
③ 感動体験は人を惹きつける:感動したものを感動したと語る人の話は、つい聞きたくなります(度を越えなければ)。愚痴や自慢、説教よりも全然前向きに聴ける。その感動体験にも興味が湧くのはもちろん、話す本人に対しても興味が湧き、ポジティブな気持ちを抱くこともできる。また、自分に対して興味が向けられることは、自分の気づけなかったものに気づけることが多く、悶々としてる人にとっては脱出への突破口が見える可能性がグンと上がる。
.....ここまで書いていて自分も思えてきたのですが、感動体験って自分を好転させる体験なのかも知れないですよね。
ただ、忙しい中にどうやって感動体験を見つけるか?意外と盲点だと思うんですよね。今日の20:00〜21:30は絶対に〇〇の映画を観る時間にする、週一で90分、誰かとの共同で行う活動に参加する、週一で90分、〇〇のレッスンへ通う etc. 意外とやれていない、そんな人もいるのかなと思います。SNSのチェックについ時間を使ってしまったり、自分の作業の効率化を前向きに考えていなかったり、自分には90分の時間を確保するなど無理だと思い込んでいたりなどしていないだろうか。
90分だけ、絶対に感動体験以外のことをしない時間を作る
朝の90分、寝る前の90分、帰宅時間にプラスαして作る90分など。どうすれば90分の時間を作れるのか、少し手が空いた時などに一度ゆっくりと考えてみると光明が見えてくるかも。新たなきっかけも生まれるも。