生活していく事

てのべ
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また間が空いてしまった。3月も実質2週目に入り、3月9日にはレミオロメンの同日と同じタイトル曲を聴くなどしていた。毎年の恒例行事というか、もう1年経つのかあというのを実感するための習慣ですね。

今日は様々な事象が重なる日でここ最近の中でもかなり意識があっちこっちと忙しい感覚だったように思う。

3月11日は世界的にも大きな災害が起きた歴史的な日付。それまではなんてことなかった日が何かしらの意味を持つようになるのは大抵とてもいい事かその逆かである中で、この日はこれまでの人生においてあらゆることを考えさせられる一つの起点にもなった日でした。正確に言えばこの日を境に以降で変わっていった部分が多くなったというところ。

時間が経てば癒える傷ばかりではないだろうけども、今でも生きたかった人、その人たちの隣に居たかった人々の悲しみがこれからの希望によって少しでも薄れ、笑える瞬間が増えるのを願うばかりです。

そんなことを願う一方で今日はアカデミー賞に関する情報が多く流れてくる日でもあった。現地時間で言えば昨日のことではあるんだけれど、時差の関係で日本時間において3月11日扱いに。

正直言うとわたしはここ数年のアカデミー賞の存在意義について思うところがあり、何を指して賞賛される映像作品なのだとか、受賞されているのを視聴基準にするかどうか云々はわたしの価値観の中と違う気がしてリアルタイムで追うのではなく後追いになってきていた。個人の範囲で興味を持って良いものに触れていくことにそういった指標は必要無いな~というのがあって、観ずとも困ることがなかったというか。

ただ、国際的に価値があるとされている催しであるというのを頭に入れたうえで見る行為の必要性は一エンタメに関わる人間的にはあるかという瞬間が度々あり。仕事の合間に色々と情報を追ったり、翻訳しながら記事を読んだりしていた感じで過ごしていたんです。

そうする前提として、映像作品に限らずあらゆる市場の基盤は国力の規模に依存しがちでどうやったって基準がそこに寄っていく傾向があるのは仕方のないことだと理解はしていたんですよね。でも、だからこそそこに据え置かれたとて恥じぬような理念や姿勢ってのが求められているというのを重々承知してそこに立ち、またそこに立っている人を見るのが大事だということも。

いくつか前の記事で韓国の映像作品を好む理由の一つとして社会へ訴求する意志が強く籠められるケースが多いというのを挙げたけれど、昨今はそれと同じようにメッセージ性をどう現実的に伝えていくかが大きな課題になってきているように思う。いかにフィクションと言えど、それを楽しむには現実的な視点が何かしら必要になることを消費者側も理解していっているというか。それに応えるタイミングがあらゆる情勢も相まって色々重なっているという所感。

もっと言えば共感できる、考えさせられる、のめり込むための接点をどれだけ現実に生きる人たちの琴線に近付けられるか。

ここ数年はその課題へのアンサーとして難民問題や人種差別をテーマにした作品へのスポットの当て方が強まったという感覚。ポリコレという言葉が日常に浸透するようになって『これってポリコレ意識してそう』っていうのがスッと出るようになったのもここ3,40年という広さじゃなく5,6年くらいのスパンの事で、わたし含む周囲や市場に関わる人々の目の向けどころもより広角になってきたのを実感する。

そういった背景を念に置き、今日のアカデミー賞関連で問題になっていた事柄を見ていると、やはり残念だったなと思う事の方が多かった。

わたしは結局根っこにあるは他者にどれだけ敬意と誠意を持てるかというところなのだと思っていて、差別に通ずる不躾さや人間関係の中で起こるすれ違いや事故もここが基盤だと思っていて。どんな状況・境遇・性質を持っていようが人間すべてには人権と尊厳があり、積み重なった生活と人生があるという当たり前をどれだけ尊重出来るか。

だから、意味ある場所で、多くの人々の目に映る場所に立つ意義を持つ人はそれを誰よりも意識するべき時代で、今後もそうあるべきというのがここ数年の課題と共にあるものだと考えています。

現実に生きる人たちの琴線にどうメッセージを訴えかけるかというのって感度が高くないと狙えるもんじゃない。付け焼き刃だとか知識の上塗りから何かのテンプレを引っ張ってきてもどこか上滑りする感覚があるのを、ここ十数年で感じてきた。絵を描くことを通じて、何かのために表現手段をとる人はその手前で自己をどう形成するかがその以降に大きく影響するのもみて感じてきた。

作品と本人は個別で考えるべきという考えを以前は支持していたわたしも、今は自分があってその先に表現があるなら無関係とは言えないというところにきていて、それがどうしたって何人かの言動にひっかかってしょうがなかった。

これを怒りとするか悲しみとするかはかなり難しいところで、複雑な気持ちとしか言いようがない。ただ良いとは微塵も思ってないというところに行きつき、何故なのかを書いておく必要があるなというところでここに打ち込んでみている。

こんなことを書いてはいるけど、わたし自身褒められるような人生や生き方をしてるとは思ってない。日常で嫌な事やムカつくことがあれば暴言に等しいことを感情に合わせて文字にすることもあるし。たとえそれが一つ覚悟のうえで行っていることとは言っても、まあ善い事ではないわけで。

それでも自分なりの善とベストを目指せるように自戒を込めて。明日も敬意と誠意を忘れず生きていこう。

そして今日も一日お疲れ様。

@tenobeee
一日一ページ。無理せず更新。 特に何てことないものを書きます。