※令和六年能登半島地震で被災されたすべての方々に、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復旧と復興を心より、お祈り申し上げます※
※本記事は災害に関する内容を含むため、お読みの際は「心が辛くなる前に閲覧をやめる」選択肢を取れるよう、念頭に置いていただけますと幸いです※
はじめまして。毎年この時期は「地震が来る前にあれもこれもやらなきゃ」と生き急いでしまう山寺です。皆尽村(みなづきむら)では、自分のことを河童かもしれないと最近思い始めた村人の「てら」としてロールプレイをしたり、中の人として会話にまじったりと、たのしく過ごさせていただいております。
村に顔を出さなくなったタイミングがタイミングだったため、もしご心配おかけしていては申し訳ないので先にこれだけは。山寺は物理的な被災しておりません。Wi-Fiにハブられがちな私の端末では見づらいかもと思い、元々年末年始は村へ行かない予定でした。たしか村での最後の記憶は、「僕と契約してサンタクロースになってよ!」とトナカイが村民を手当たり次第噛んでサンタクロース菌に感染させ、サンタから蘭奢待をもらって時の権力者に座す村民が急増している最中、河童の私は河童巻きをもらっていた、です。いない間、一体どんな胡乱があったのでしょう。私、気になります!
胡乱な2023年も終わった元日、地震のニュースが飛び込んできました。3.11を思い出して胃の上が苦しくなり、余震の速報が流れるたびに家中をソワソワうろついてしまうくらいには気持ちが落ち込み、しばらくSNSを開かない決心をいたしました。村の初夢を見たのでめちゃくちゃ共有したかったんですけど、グッと堪えました。「今はいろんな感情や情報に耐えられないでしょ」と。旧Twitterにいたときは「毎日開かなきゃ」と、ある種追い立てられる気持ちが大きかったのですが、村は「毎日行きたい」とわくわくする気持ちと「毎日行かなくても繋がっている」あたたかい感覚があり、腰を据えてみなさまに甘える形となりました。
Discordへはときどき「しりとり」に参加していたので、あまり面識のない村民さんからは「村にいないけどなぜかしりとりに現れる初期アイコンの怪しいアカウント」と認識されているかもなあと思っていました。記憶違いで「子子子子子子子子子子子子」を「こ」のあとに投下してしまった節は本当に申し訳ないです……。
村に顔を出さなかった間もいろいろやっておりました。村に関係するところだと、檜佐木修兵とエサクタが一緒に語られる意味がわかったり、「心か」と「私が〇〇していたといつから錯覚していた?」と「13km」と「五百倍」と「お早う 土鯰」の元ネタがわかったり、破面編が終わって死神代行消失編に突入したり、Youtube開くたびにシナモロールをおすすめされたり、「愛は勝つ」すらちゃんと聞いたことなかったけどKANさんって優しい声でおもしろい人だなあとMV観ながら思ったり、ボカロとアニソンと少々のJ-POPを聞いてるだけの人生では出逢うことがなかったであろう「キメラ」という曲を聞いてわけもわからず涙が出たり、クウガの一話を観て某TRPGシナリオに思いを馳せたり主人公いいあんちゃんだなと思ったり、百均でL版OPP袋と缶バ用OPP袋とデコ用のシールを買って遊んだりなどしていました。他には、今年もコピ本作った話とか、卓準備してた話とか、空想旅行してた話とか、また別記事でお話しできればいいな、お話ししたいなと思っております。今年もマイペースに村へ顔を出したいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
最後に名前の由来でも。私はオオサンショウウオが好きでして、「山寺」は『山椒魚』(著:井伏鱒二)の「山」と、サンショウウオのドイツ語「der Salamander(デア ザラマンダー)」の「デア(男性名詞につく、英語のtheみたいなやつ)」から拝借しております。三年ほど使っているからか、好きなものをもじったからかとても愛着があり、旧Twitterをやめてからも主に文字を書くとき名乗っております。
「てら」は言わずもがな「山寺」からきています。「寺の人」と呼ばれることもありまして、交流するなら親しみやすいひらがなのほうがいいかなと。このごろではかなり「てら」としても自我が芽生え、「〇〇してら」とか「TB(テラバイト)」とか、「てら」が含まれる文字列に反応してしまいます。
そしてこちらのアカウントは、壁に貼ってある模造紙(記事)をみなさんに見ていただく感じで「寺子屋」といたしました。私が生徒です。よくないことをしていたら優しくご指摘願います。該当箇所を訂正したり削除したり編集したりいたします。
あれよあれよと桃の節句も過ぎてしまいました。雪舞う寒さと梅咲く暖かさが入り混じっておりますので、みなさまどうかご自愛ください。それでは。