
先日、とある人から、やりたいこと、出来ることを見つけるために、自分が楽しいと思えること、好きだと思えることを探しましょうという宿題が出された。
なぜなら、今の私は、何に心が動くか分からない、鈍感な状態だからである。
料理や掃除、植物に水やりをするなど、家事は苦ではない。でも楽しいと思っているか、その行為を好きだと思っているかと聞かれると疑問だ。
以前は食事中のNETFLIXは欠かせないものだったが、もう見ていない。久しぶりに小説を読み始めたが、2、3日で体力が尽き、放置してしまっている。気合いを入れて映画を見ていてもついスマホを触ってしまう。
こんな状態になる前に、私は何に熱中していたのだろう。
振り返れば、幼い頃から勉学に励めと両親に言われて育ち、漫画やアニメは集中を乱す悪い物だと教えられ、ならばと料理や掃除をすればダメ出しを受ける日々だった。
家の中で安心して何かに取り組めた記憶が無い。階下にいる母親の機嫌が悪くないか、帰宅した父親と言い争いを始めないか、突然部屋にやってきて理不尽に怒られはしないか、常に気を張っていた。
両親が趣味に没頭していた記憶もないし、両親に何かが好きだと告白した記憶もない。
物語であれば、この辺りで唯一心が休まるものを思い出したりするが、現実はそうではない。八方塞がりである。
やりたいこと、好きなことでお金が稼げたらどんなにいいだろうと思うけど、やりたいこと、好きなことが分からない時にどうしたらいいかは分からない。本屋を練り歩いても助けになりそうな本はなかった。何かに心が動く時、それを感知できることが前提となっている印象だった。
結論をどこに見い出せばいいのか分からないのに、道筋が見えないと焦るのが私である。息が苦しくなって、何かにヒントがないか右往左往する。
28年私と一緒に生きてきた私だからこそ、この右往左往に意味があることはうっすら知っている。ああでもない、こうでもないと思考する時間がいつか終わることを知っている。
今日は「私の」やりたいこと、好きなことが見つからなかった。それが分かれば十分だ。
明日も考えて、見つけようとして、もがこう。
ゆっくりでいい。