
小さい頃から、父親には、「お前は要領が悪いから、他人よりしゃかりきになって努力しなさい。」「他人が1やる間に10しなさい。」と言われ続けてきた。
その結果、私が得たものは、自分は要領が悪いという誤った自覚と、何もしない時間を悪とし常に何かに従事していなければならないという強迫観念めいた思い込みだった。
そして、2023年の夏、私は限界を迎えた。
外に出ようとすると体が動かなくなり、そんな自分が情けなくて号泣し、食事や入浴を満足にできず、布団に横たわり続ける日が続いた。
私は自問せざるを得なかった。私は父親の言うとおりに頑張ってきたけれど、それは、「私の」時間を生きてきたといえるものだっただろうか、「私の」人生の主導権を私は握っていただろうか、と。答えは否である。
私は、「私の」時間を生き直すことにした。
今日何をするか、何を食べるか、今日をどんな一日にするかは、私が決める。
今日がどんな日だったかは私が評価する。
そうやって生きることを私が私に許してあげる。
完璧じゃなくていい、努力し続けなくていい、何もしていない時間を大切にしていい。祈りのように呟きながら、今日も「私の」時間を生きる。生きていく。