誰かの話を読むのが好きだ。「聞く」のではなく「読む」のがいい。聞く、というのは、自分の想定していないテンポになることがある。そのテンポが自分のリズムに馴染まないと、聞いている言葉の意味が脳へ到達するまでに一拍挟んでしまうのだ。だが読むぶんには自分のリズムで読みやすいから、誰かの話、が自分のなかにスッと入ってくる。だから「誰かの話を読む」のが特に好きだ。もちろん、「聞く」も「読む」とは違う楽しさがあるから、そちらも好きなのだけど。
「誰かの話」というのは、誰かの綴った物語もいい。しずインで拝見するような日々の徒然やエッセイもいい。SNSのノート・ポストもいい。なにかを外界へ発信しようと、誰かの構築した言葉に触れるのが心地好い。様々な言葉や表現があるなかで、そのひとの選んだ/汲みあげた/編みあげた言葉を知るのが楽しい。この思いを伝えるとき、このひとは、この言葉を選ぶのか。勝手にそんなことを考えながら文章を読んでいると、お茶を飲むときに、温度と、味と、香りと、余韻の全部を味わっているときのような心持ちになるのだ。
そうはいってもへろへろと気力体力がないときには、言葉の海に潜るのではなく、言葉の渦に呑み込まれてしまう。出来るなら穏やかな海にずっと浸かっていたいのだが、そこで無理をすると心身ともに一層疲弊して、綴られた言葉の意図を歪めてしまうことがある。
なので心地好く潜水出来るとき、に限られてしまうのだが。そしてその限定の中身も、ときと場合によって好き勝手に変わったりするのだが。今日も誰かの綴った言葉を読んで、アア、いいなあ、とうっとりする。