実家

thamamur
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昨日から名古屋の実家に帰ってきていて、夜は母と話す機会があった。

15歳から寮生活をするようになってから、僕は実家から切り離された感覚を抱くようになっていた。その後の家族イベントに自分が参加できなくなったり、実家が大変なときにそばにいなかったり、これらは意図されたものでなく不可抗力的なところが大きいのだが、それでもこの実家の一員であるという意識が非常に低かった。

ゆえに僕自身もまた実家に積極的に関わることは多くなく、年2回程度会うに至っている。

なので、孫が生まれてからは孫中心の話になり、自分は実家の興味の対象外だとも自覚していた。なので、写真や動画も自分が映らないように、とまではいかないが、まぁ孫中心になるように撮影する癖がついていた。

ふと昨夜そんな話を母としていたときに、母から言われたことを記録しておきたい。

「認知症で亡くなった母方の祖母の方を考えると、最後は孫の名前がわからなくなっていたが、自分の子どもの名前だけは忘れないようにしていた。

最近このことについて考えていたが、やはり自分が産んだ子どもは特別だということに至った。孫は可愛く、写真や動画はいつまでも見ていられる。しかし、たまに見る息子の動画や写真を見ると、なんともなしにお気に入りをするようになっていて、お気に入りのフォルダはあなたが映ったものばかり。やはり自分の子どもは特別な存在なんだよね。」

もはや20年近く、母を含む実家は自分に興味がないと思っていたので、この言葉にはとても驚いた。まさかそんなふうに思ってくれていたとは。

しかし自分が親の立場になれば、そんなことあるはずがないとわかる。どんな年間が経とうとも、自分の子どもに興味を失うようなことはどんなことがあってもありえない。

だからこれは全ては自分自身の愛されてこなかったという思い込み、そして実家と対話してこなかったからこそ生まれた溝であり、20年近く経ってようやくこの存在を認識した。

まだ、時間は取り戻せるだろうか。少しずつでもいいから、また実家に近づいていけるように自分自身も変わっていきたいと思った夜だった。