よしなしごと

hoya
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自分が後天的に共感性を獲得したのは間違いだったんじゃないかと思うことが多い。

幼少期の自分は他人の痛みも喜びもわからない人間だった。他人を何回も泣かせたし、引かせた。壊せるものはなんでも壊したし、盗んだし騙した。もう少しリスク考慮が甘かったら普通に警察沙汰だったんじゃないかと今では思う。

10歳ごろから嘘をつくのがうまくなって、12歳ごろからリスクを避けるようになって、14歳ごろにようやく他人の感情の存在を意識した。たぶん、自分以外の人を大切にしたいと初めて思ったからだ。

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「つまんねー人間」を装えるようになりたいのかもしれないと、最近は少し思う。去年の抱負は「普通のことを普通にこなせるようになる」だった。つまんねーということは特筆して語ることがないということで、それは普通であること、異常ではないということだ。

まともさを手に入れれば手に入れるほど、振り返るたびに、わたしの幼少期は異常や異端という言葉が似合っていたなと思う。大阪で過ごしていた頃は突飛な行動は「おもろい」として、(幼さゆえの許されも相まって)ある程度受容されていた感じがあるんだけども、関東に来てからは軽度にいじめられたし、それすらも理解してなかった私は普通に楽しく過ごしていた。

ステレオタイプないじめではなかったからあんまり陰湿ではなかったと思う。典型的なギャルママ(ヤンママ?)の子を中心にした3、4人のグループだけが私を嫌っていて、それ以外はそうでもなかった。なのでオタクグループだとか中受グループとは全然仲良くしてもらっていたし、皆の前ではアクションを起こされることもなかった。

ふとした時に意図的にぶつかられたり、押されたり、ボールをぶつけられたり、まあ案外色々されてたなと思うけど、あの頃の私は特に相手の悪意がどうとか考えずに、ぶつかられたらぶつかり返したし、押し返したし、ぶつけ返していた。それで先生に告げ口されても、先にぶつけてきたのは向こうだと頑として譲っていなかった覚えがある。

あの時は自分が正しいと思ったら絶対に譲らない頑固さがあった。幼いなと思うけど、あの多感な時期に持つ幼さが鈍く堅固な方向性でまあよかったのかもなと思う。

無意識的に便利な人だと思われるより、意識的に扱いにくい人だと思われる方が好ましいなと思う。この扱いにくさは異常性を伴うものではなく、操りにくいとか、軽んじにくいとか、そういう意味で。

そういう意味では芯の部分はたぶん小学生のころから変わってないだろうなと思う。

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総合的に言うなら「抜け目のない人」になりたいのかもしれない。常に自分の頭で考えて、堅実な選択をして、誤魔化されず、操られず、堂々としている人になりたい。

多分、なれると思う。一部、既にそう思ってもらえてる部分もあるんだろうなとも思う。

わたしは他人を意識した瞬間から「わたし」をデザインしようとする動きが強かった。SNSに出会った年頃から、「他人から見た自分」の意識がかなり大きい存在としてある。

他人の目が怖いとか気になるとかではなく、「自分から見た自分」と「他人から見た自分」であれば、確実に後者の方に重きを置くし優先する、という感じだ。

無意識的であって、全員がそうだとすら思っていた。もちろん他人軸に振り回されやすいし、典型的なメンヘラみたいな挙動していた頃もある。でも化け物みたいだった自分がここまで人間と触れ合って生きるようになれたのはこれのおかげだと思うし、そういう意味ではちゃんとバランスが取れているのかもしれない。

ああいや、でも、他人から見た自分に関して「敏感」か「鈍感」かでいえば、鈍感だなと思う。だからデザインに執心しているのかもしれない。誤解なく、魅力的に見せるためのデザイン。

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他人の感情に共感できないけど、理解はできる。

そのバランスが憎いと思うことは、かなり多い。そしてそのバランスを愛しいと思うことは、その10倍も20倍もある。

わたしが他人の感情を心の底から理解できる(あるいは、できた気になる)ときは一生来ないが、そのぶん他人の感情を冷酷に利用することができる。

どうしてこんな存在が社会で、当然のような顔をして、普通のような顔をして生きていられるのかがわからない。断絶をずっとずっと感じながら生きている。私ばかりが他人を理解して、他人はいつまでも私を理解できないままだ。それでいい。理解されてしまえば私に近寄る人は減ってしまうから。でもずっと孤独だ。これしか他人と触れ合い続けられる道がない。

肯定より許容を求めるのも、これに掛かる話なのかもしれない。

理解できないものを理解してもらいたいとも思わないし、誤解を許せる寛容さもないが、拒絶されたくはないと思う。異常であることはもうしょうがないから、そういうものとして扱ってほしいと思う。肯定ではなく許容が欲しい。そして幼少期の私に与えられたほとんどは、肯定と否定だった。いや、許容は少なからずあったと思う。しかし許容は肯定の強烈さに容易にかき消されてしまう。

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毎日こんなことをちょくちょく考えている。ツイッターで死ぬほどこういう話をしているけど、長くなるしなあ……とか、グロいしな……と思って控えることが多い。

「〇〇だったらいいな」と思って本当にそうだったことがない。親を死ぬほど軽蔑し始めた時も「反抗期だったらいいな」と思ったし、考え方が異質なことに気付いた時も「思春期だったらいいな」と思ったし、無感動で慈悲のない人間性も「中二病だったらいいな」と思った。中二病だったらいい。中学2年生だったころから10年も経つのにずっと思っている。中二病だったらいいのに。

同時にそれをどうしようもないものとして認識して、開示して、自分のキャラクター性として昇華しないといけないという観念もある。うじうじと抱え続けるだけの感情は意味がない。それに自分で整理をつけて消化するか、もしくは自分のコンテンツ性として昇華するかの2択しかない。

わたしは、すべての悪感情や後ろめたさはそうやって処理してきた。と思う。ならこれからもそうやって処理するべきだ。どちらを取るとしても第一歩は言語化であって、そう思うとわたしの、感情の言語化というものへの運命性を感じてしまう。人生において絶対に通る道として定められていたと思う。

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何日書き溜めてたんだっけ、忘れたけど、下書き機能が便利すぎて少しずつ長く長く書き溜めてしまう。

日常のことを丁寧に書く気力がないからこういう掃き溜めみてーな日記になるね 近いうち立ち絵依頼の話を、できたらしようかな あとカレンダーの話

じゃあね