今月に入ってからあえてゆっくり読み進めていた本を読み終えたので、読書感想文を書きます。
タイトルを知ったきっかけはインスタだったかな。手帳やノート、「書く」系の投稿を見ていると、おすすめに似た投稿の表示が増える。その中から適当に見た投稿が、たまたまこの本を紹介していた。(それも最初は手帳タイムの内容で、スワイプしていくと「実はこの本の影響です」とやっと紹介されたから、なんだか運命的なものを感じる)
その時は書影ははっきり認識せず、『さみしい夜にはペンを持て』というタイトルが頭の中に残った。ふーん、そんなに書く意欲を刺激される本なのか。勝手にハウツー本のイメージを抱き、後日、本屋で探してみた。本の内容がわからない場合は本屋で中を見たくなる。推しの出る雑誌なら掲載ページ数が不明でも即Amazon予約なのに。
そして本屋に行って対面した時、なんて綺麗な装丁なんだろうと思った。青い海の中をイメージしたイラスト。光やあぶくや珊瑚の色も綺麗。わたしは水面がキラキラしている写真を見るのが好きだ。だからこの本の表紙はすぐに気に入った。中身も少し読んでみたけど、実際は「ジャケ買い」である。装丁が好きすぎて手元に置いておきたい。そんな気持ちだった。
本屋ではビジネス書のコーナーにあったのだけど、これはどう位置付けたらいいのだろうか。本のあらすじは、海の中を舞台にした世界で、タコジローというタコの男の子が、ヤドカリのおじさんに出会って、日記を書くようになる話だ。海の中の生き物に置き換えられているけど、タコジローのコンプレックスとか、クラスのカースト上位の男子にいじめられているとか、更にはヤドカリのおじさんも指名手配中の不審者なのではと、現代社会に通じる、胸がひりひりと痛むシーンが多い。
わたしも日記を書くことは嫌いだけど、書くこと自体は好きだ。特に趣味で小説(マイルドに書いたが、ぶっちゃけると二次創作で夢小説だ)を書いている時は、結構没頭していると思う。長く続けている趣味だが、最近ようやく「もくもくと文章を書くことがストレス解消」であり、「書けない書けないと悩んでいても、ある時ネタのピタゴラスイッチが完成して、ボールがゴールまで辿り着いた瞬間(つまり書き上げた時)が何ものにも変え難い快感」であるとわかってきた。
作中でヤドカリのおじさんは、「続きを読みたいから日記を書く」、「忘れてしまった自分が読み返すからこそ、日記は秘密の読み物になる」とタコジローに語っていた。わたしは日記に自分の気持ちをストレートに書きすぎて負の遺産を生み出してしまっていた。だけども手帳のノートページにメモ書きしていることは時間が経つと確かに忘れているし、忘れているから素直に読み返すことができる。二次創作に至っては、自分の過去作を読み返して「面白すぎて書いた人は天才なのでは?」と自画自賛ベタ褒めしている。きっとこれも、ヤドカリのおじさんが言っていることと同じなのだろう。
この本は最後までタコジローの物語だ。物語を通して文章を書くコツを得る人もいるかもしれないが、わたしは日記への恐怖心を解いてもらったような気がした。なんでほぼ日のヘビーユーザーってあんなにデコるの!? 手帳何冊も同時に使っている人は何者なの!? そもそも自分の字を世界に公開したくない! 常に胸中にうずまく、インスタグラマーあるいはユーチューバー、ブロガーへの憧れと恐れと嫉妬のミックス煮凝りが、ちょっと溶けたかもしれない。
趣味の話になるが、以前「なかなか小説が書けない」と相談されたことがある。ネタがないから書けないのかと思いきや、その人は小説を書くことを少し恥じているようだった。小説の投稿アカウントも鍵垢で、企画への参加も渋っていて、それで都合よくフォロワー(読者)が増えるわけないだろと、胸の内では思っていた。
わたしだって恥ずかしかった。でも書き上げて、公開した。それを繰り返した。誤字脱字に後から気づいて「ウワァーーーッ」と身悶えることは未だにあるが、それでも書いている。趣味ゆえに超マイペースで内容も自分の書きたいことだけを書いているのでこんなことが言えるのかもしれないが、わたしは書き続けているのだ。相談してきた人には申し訳ないが、そんなワガママ言わずに書いてくださいと言いたくてたまらなかった。
本のことに話を戻すと、さっきも言った通り、この本はタコジローの物語だ。少年の頃に出会った不思議なおじさんに、大切なことを教えてもらう青春の話かもしれない。わたしはタコジローが辛い思いをするたびに泣きそうになっていた。だって、そういうシーンの描写がなかなかリアルなのだ。こういうことあるよね、とタコジローに感情移入しまくっていた。
ちなみにタコジローは最後まで、いや物語の【完】の先もずっとタコジローのままなのだろう。タコジローが劇的に変わる、例えるなら進研ゼミの漫画みたいな展開は起こらない。でも、自分の身の回りの出来事や心の揺れ動きを、ことばにできるようになっていく。
小説を書く時も、新しい表現を使えるようになると嬉しい。現在絶賛放映中の『婚活1000本ノック』主人公の綾子さん(官能小説家)が、いくつもの喘ぎ声を書けると言っていた。確かに喘ぎ声って、気づくとワンパターンになる。繰り返しを避けるためにパターンを変えてみても結局似たようなやつになるし、キャラのイメージもあるのでいきなり方向転換するのは難しい。綾子さん、すごいな。
喘ぎ声の話になってしまったが、「ことばを蓄積する」ことが武器になるのだ。どんなにイラッとしてもお嬢様言葉に変換すると気持ちがギスギスしない。ならお嬢様言葉のボキャブラリーを増やせば、ムカついた時もエレガントに吐き出すことができる。そういうのって、いいな。
青い海を描いた表紙に惹かれて買った本を読むうちに、わたしも海の中に潜っていた。タコジローと一緒にヤドカリのおじさんの話を考えるようになっていた。まだこの本を読み終えたくないなと、わざと一日に読み進める量を減らしていた。この心地よい物語の海を漂っていたい。そんな、とても気持ちの良い読書をした。
忘れた頃にまた、青い海の表紙をめくってみようと思う。