芸能人同士が熱愛発覚、あるいは結婚をした時はどんな感情を出すのが正解なのだろう。世間的には大人の対応としてうわべだけでも「おめでとうございます」と棒読みするのが適切なのかもしれない。しかし、そうもいかないこともある。わたしは大人の対応をできず、ヤダヤダとわめき続けている。こんな醜態を晒し続けて、どうしたらいいのか。明日出るかもしれない推しの報道に怯えている。
熱愛が発覚すると気持ちが急降下するのはなぜか。なぜ匂わせをするのか。このあたりはまだまだ答えが出ないので、今日は別のテーマについて書こうと思う。
では、本日のテーマ「どうでもいい人」。
どうでもいい人。読んで字の如く、どうでもいい人のことだ。好きでも嫌いでもなく、どうでもいい。視界に入って嫌悪するような存在ではないけれど、別に何をしても構わない。例えるなら結婚しようが逮捕されようが「へーそうなんだ」で済ませることができる存在だ。
推し活には熱量が必須だ。というより、熱狂しないといけない風潮があると思う。エンタメとして、リアリティショーとして、時間・金・感情をすり減らすことを強いられているように感じる。最初からぶっ飛んでいる人も少なからずいるが、多くの人は周りに影響されてファンからおたくへ進化しているのだろう。チケットが当たらなかったから転売に手を出す。推しに認知されたくてより目立つアピールをする。こういった「あまり良くない」道へ踏み出す人が増えたと思う。
たまたま目にして面白いなあと感じた事例がある。ごく普通のファンだったアカウントが急にイキりだして愚痴垢となり、しまいにはとある人のプライベート写真をばら撒いてゲラゲラ笑うアカウントになってしまったのだ。ここまでの変化に一年もかかっていない。たぶん他の愚痴アカウントや晒しアカウントに影響されてしまったのだろうが、それでも一年でたどり着く場所ではないだろう。感情の消費が早すぎる。
熱狂し続けることは難しい。普段は静かに過ごして、たまのライブで大はしゃぎするくらいが適切だろう。だが、アクスタや写真を持ち歩き、行く先々でその無機物を写真を収めることが推し活のスタンダードになっているのだ。そして無機物を収めた写真をSNSにアップしたり、Vlogとして公開する。そんなの365日の中のワンシーンだとわかっていても、なぜかこの人は毎日こんなにおしゃれな服を着て美味しそうなものを食べていると思い込んでしまうのだ。そしてそれを真似しようとして、365日無理な生活をしてしまう。
やっぱり身銭と心を削ってまで赤の他人に入れ込むのは良くない。そこまでさせる素晴らしい人であっても、「どうでもいい」と思うことは大切だろう。何も見捨てろというわけではない。熱心に情報を追ったり、急なイベントに駆けつけることができなくても、ライブでめいっぱいの歓声を上げればだいたいオッケーだ。茶の間とチクチク嫌味を言ってくるアカウントはブロックすればいい。そんな気持ちを、2024年は持ちたい。