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palina
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雨。

上野に行く。西美の展示をみにいく。3月からと思っていた展示はもうすぐ終わるようで、1月から楽しみにしていたはずなのにと驚く。時の流れが粒のようだ。

現代美術を西美でできるというのはすごいことだと思う一方で、西美や東京都博物館に行くときによく感じる「ここによくくる人は、わたしと住まいが違う」という感覚に少しビクビクしていた。

現代美術を「わからない」と言われたり、「気持ち悪い」と言われるのに傷つく。

今回の展示は知り合いもいたので尚更ドキドキしてしまった。

展示室にはたくさん人がいた。人気の展示であること、それがここで行われていることを改めて嬉しく感じる。

なんだろう。西美の建物は、良い。硬い。

荷物をロッカーに預け、軽やかな身なりでチケットを見せると、「研修生」の札を付けた男性に、一枚の紙を差し示された。

なにかわからなくて10秒くらいその紙を見つめて静止したが、「この展示は再入場できません」を他の言語に翻訳したものとわかり、「あ、日本人です」と言った。久しぶりにパニックの気持ちになった。「あ、日本人です」で合っていただろうか...。

...どうして海外の人だと思われたのでしょうか。

たまにそう思われることがあるけど、顔面の種類に加えて全身真っ赤だったこと、変な髪の色をしていることなど外見のほかに、美術館に来たという足取りではないことや、振る舞いが失礼なこと?など、自分の振る舞いに差異があるからではないかと思って少し怖くなる。

人と違うことが怖い。

展示は西美の作品たちと、それぞれの作家がコラボというか、それを使って展示をするような形式だった。

好きな作家さんがたくさんいる。

田中功起さん、小田原のどかさん、遠藤麻衣さん、内藤礼さん、小沢剛さん、弓指寛治さんなど...。

田中さんの作品は美術館への提言という形で、展示を見る困難がある人がいることについて考えさせるような内容。

ここに原稿を寄せていた山本浩貴さんがわたしはとても好きで、読んで改めて(美術業界若手の良心...)という気持ちで嬉しくなった。

弓指さんの展示もものすごくよかった。山谷の人への取材とその展示だ。こういう題材は、素材として扱われる時にただ素材として扱われることと、作品として成立させることの難しさがあると思う。弓指さんのこの作品については、部屋に入るなり圧倒的な取材量を感じた。その時点で、作品を見る安心感を覚えた。

弓指さんの展示は社会的なテーマを持つことがほとんどなので、その意味でも成立しているし、この展示をできることは本当にすごい。

遠藤麻衣さんはギリシャ神話を元に作った映像作品であった。普通に全裸の女性が出てくる映像をここで展示するのすごいな...と思いながら、おじさまとかおばさまが入ってくるとドキドキしている私がいる。これは私の偏見。

遠藤麻衣さんは話すとすごく朗らかな人だけど、作品がいつもいききっていて好き。

動画作品にはかつてのスプツニ子!さんを思い出したりした。

飯山さんの作品も面白かった。

「あなたのことを支配しているものを書いてください」という参加型のゾーンがあったので、そういうものにすぐ参加したがる私が座って書いていると、後ろで「あなた書いたら?わたしなにかよくわからんもん」と配偶者らしき人に言っている老婦人がいて、「わからんもん」か〜などと思う。

「わからんもん」という感情ってある。それは「わからない」という意味ではなく、自分がその場から拒絶されていることを感じている気持ちだろう。「一緒にやりませんか?」と言えば良かったと今思ったが、私にはその勇気も責任感もないだろう。

初めて本格コーヒーショップに行った時のことを思い出す。

ここに同世代の作家さんたちがここにいることを嬉しく思う。あと私も発表したいなぁなどと思う。ずっと言ってるが、芸術祭に出るぞ。

子どもの頃はあらゆる「発表」が好きだった。なければ自分で先生に頼んで「発表の場」を作ってもらうくらい、作って発表するのが好きだったなとよく思い出す。いつからか「発表する価値があるものしか発表してはならない」と思い込んでいたけど、ベトナムでも台湾でもオーストラリアの田舎町でも、人数が多くない場所ではそれなりのものがたくさん「発表」されていて、それですごくいいと思う。

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不思議な話だけど、子どもの頃に絵を上手に描いていた人を「イケてる」「かっこいい」と思ったことがない。でも藝大生は「すごい」「かっこいい」と思う。なんなんだろうか。東大生(京大生)と藝大生に多大な尊敬がある。学歴というよりは、自分がなれなかったものという感じなんだな。

大学受験の時に国立志望だった私は(東大どうかな〜)とか考えて赤本を開いたことがある。それで問題文の意味すらもわからなかったことで、「あ〜違う人なんだな、到底敵わないんだな」と思ったことがある。

大吉原展を藝大に観に行こうかと思ったけど、考えてみたら私は吉原にそんなに興味がないので雨も降っているし引き返した。というか、今の吉原には興味があるが、その時の吉原に具体的な興味がない。

土地に感じるものがある。

吉原のあたり、その周辺の一部を通るとなんとなく不穏な空気を覚える。

バッハにあまり行けないのも、あそこの空気感が苦手だからである。とは言え住んでいる人はいるし、街中でテレビに集まって野球見ている様子とかを見た時にはそれはいいなと思ったし、弓指さんの展示を見ても、そこには当然人の生活があるということはわかる。

わかるけど、土地に付いた空気感ってものはあって、私には苦手なエリアが結構ある。

柳橋というエリアは遊女ではなく、三味線など技のある芸妓さんたちがいた場所らしいけど、このエリアが結構沈んでいて苦手で。

調べてみると、明暦の大火の時にたくさんの人が亡くなった場所に近いのかもしれません。わかりません。

東京にも人の歴史があって面白いね。

最近キャパがオーバーしている気がするけど、どうしたらいいのかわからない。

やりたいことができない。時間はそれなりにはあるというのに。

休みの日、だらだら過ごすことを試みていたが、今回でもうやめようと思った。

だらだら過ごすのが苦手だからやってみたんだけど、やっぱりだらだら過ごすのは苦手。