『スパイダーマン:ノーウェイホーム』を見た

ちどりん
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3部作の3部作まできてやっとトムホピーターのオリジンが終わった感じ

なんとかスパイダーマンになったと言うのに、その頃には先輩スパイダーマンがいて、話がわちゃわちゃしてた

3人揃ってからのシーンを書くの楽しかっただろうなー、オタクがニヤニヤしてそーーって感じだった

過剰すぎるファンサービスの嵐で、これで100点つけるひとは、そりゃいるだろうね

個人的にはガンケくんの皮かぶったネッドが急にルーラに目覚めて、みんなの移動手段扱いされるの、ご都合主義とおりこして、不憫に思えて切なくなっちゃった

脚本にいいように設定をいじられる太っちょアジア人て、なんでこれが良きことになってのか、わいにはわからん

マジカルニグロをアジア人にスライドしただけじゃん

もともとガンケくんがモデルなのに黒人主役だと売れないから白人ピーターに変更されて、友人って設定だけかつぎだされたっていう不憫な構造してるのに、ここまで白人ピーターに都合のいい善良なキャラになったことについて、だれもなんも言わないのが不思議でしゃーない

とかなんとか言うとりましが、3部作のなかではいちばんよかった

ヴィランが救われる話は良い

つうかやっぱピーター・パーカーは自分を責めてこそだよ トムホピーターが全然面白くなかった理由がわかった

前2作のアイツただのチョーシのりで、ヒーローでもスパイダーマンでもなかったので、やっとオリジン終わった感じ

雑に言うとハッピーエンドでよかったね

で少し考えたことがあって

MCUはmarvelつうヒーローコミックの会社が自社のキャラで作ってる映画なので、ヒーロー映画だ!って思考停止で思い込んだひとから、ヒーロー映画の代表格みたいに語られてるけど、途中から『ヒーロー』なんてものを描写なくなって「やりたいこととできることが違ってて困っちゃう」「仲良くしたいひとと仲良くできなくて悲ぴー」みたいな話ばっかりだった

ヒーローから市民対への視線が希薄で、≪大きなチカラを個人で持つ我々が市民に対して負う責任≫を考えてるキャラが、長い歴史でトニーだけだった

原作ではスティーブ・ロジャースが率先して、それをやってたのに、MCUでは一切やんないわけよ

原作コミックでキャプテンアメリカがキャプテンアメリカである芯の部分が、まるで描写されてない

MCUスティーブは原作コミックの『キャプテンアメリカ』の功罪にタダ乗りしてるガワだけのキャラに成り下がった

「自分たち」の話ばっかりで、他者とどう連帯していくか、みたいのを抜き取って続けるあたり、マジでトランプ政権下での映画群なわけですよ

多分、わいが最近のMCUにノリきれないのは、ヒーロー映画って看板掲げてるくせに「他者」っていうのを描写してなかったからだと思う

他人種キャスティングしたり、スタッフを全員黒人にしたからって「オレたち」と「アイツら」って構造は変わってない

ポリコレ!ポリコレ!って喜ぶけど、自分たちとは違う他者とどう連帯するかって視線がない 『スパイダーマン:ノーウェイホーム』でひさしぶりに「ヴィランの命も大事」って、あったり前のこと描写してて、それを否定するのがMCUから参戦してるDrストレンジっていうの、わかってやってんじゃねぇか?って感じだった

SONYなりのMCU批判だったのかもなぁって思った