コーディネーター

ももも
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高嶋政伸さんの文章を読んだ。

13歳の娘に性的暴行を加える権力者の父親という難役に対して、どう向き合ったのかが書いてある。

私は過去におとなしめの性的暴行を受けたことが2回ある。おとなしめというのは、殴られたり、何か身体の器官を破壊されたり、のちのちに傷が残ったりしないという意味だ。

同意の無い性行為、という言い換えをするくらいがちょうどいいかもしれないし、当時はそのくらいにしか思っていなかったけれど、数年経って心の傷が少しだけ癒えた今は、これを性的暴行と言い表す社会にしていかなければならないという気持ちも込めて、性的暴行だったと認識している。

その経験の上で、この文章を読んだ。

「僕に娘がいたら、とても演じられない」

現場入りし、衣装小道具を身につけた子役の少女を見て感じたこの一言が、本当に何よりも生々しいなと思った。

性的暴行は許されることではなく、人の尊厳を踏み躙る行為であるということは、広まりつつあると思う。ただ、たしか日本の現行法では「同意の無い性行為」だけでは罪に問えない(明確に抵抗をし、それを暴力によって押さえつけられた等の証明が必要だったと思う。少なくとも私が被害を受けた時はそうだったし、その後はフラッシュバックを懸念して積極的に調べたりしていないので分からない)ことになっている。

男性に無理に覆い被さられたり、口を塞がれたり、そういった行為がどれだけ怖いか、無力感に苛まれるかということは、事前の想像では及ばない部分があると思う。そこをきちんとケアするという配慮が俳優業界でなされているのが有難いなと思うし、提案も的確で、高嶋さんは凄いなと思う。

だいぶ慣れたけれど、未だに地下鉄などで隣に男性が座ると怖いし、友人くらいの人とでも密室に2人にはなれないし、前の職場では手を触ってくるおじさんに悪寒が止まらなくなって辞めてしまったりと、まだトラウマなんだなあ、とどこか他人事のように感じる。

一方で、たまにあの時の感覚を思い出しては1人で泣く夜がある。

まだ立ち直れてないし、もしかしたら一生立ち直れないかもしれないし、これからも私の人生の邪魔をしてくる経験だと思う。でも負けないように頑張りたい。

少なくとも、この記事を最後まで読めるくらいには私も回復しているのだし、未来は明るいと信じたい。たぶん、高嶋さんも文章を綴る時、相当にご配慮されていると思うんだけど、細部への言及が無かったから、辛い気持ちにならずに読めた。

いけるいける。なんとかなる。少しずつ自分を取り戻せている感覚がある。社会にまた出ていける。自分で自分に言い聞かせている部分はあるけど、前進しているのも感じる。

きっとうまくいくよ。大丈夫。世界は少しずつ良くなっていて、環境はいつ変えてもいい。

近いうちに、新しく仕事を始めようと思っている。持病のこともあるから、フルタイムはまだ無理しすぎかなって思うけど、短時間から少しずつ社会に出ていきたい。戻っていきたい。

こうやって気持ちを書くことが、リハビリにもなっている。自分に向けて応援をするつもりで、この春をやっていきたい。