あの時は辛かった。
うまく書けない。事情が混み合いすぎている。私をレイプした後、元彼はある人に電話をかけて、電話先の相手をひどく傷つけることを言った。私はこの後電話先の相手と数ヶ月一緒にいることになることになるのだけど、その人は精神を病んでしまった。
こみいりすぎて本当にちょっと書けない。
とりあえずその人、Aさんは、私の家に入り浸るようになった。そして、「死にたい」と何度も何度も言うようになった。
知らない間にどこかへ出かけていっては、私に電話をかけ、「今〇〇駅にいる。今から電車に飛び込む」と言う。
私は必死にそれを止め、すぐその駅に向かう。Aさんの手を握ったり、宥めたりしながら、家に帰ってごはんを作り「一緒に食べよう」と言う。
Aさんは、私が作る唐揚げが好きなようだった。唐揚げを揚げると、大抵たくさん食べた。食べられない時は、冷蔵庫に入れて置いておくと、数日後に無くなっていた。
Aさんは、それからも何度も出かけては、私に電話をした。ほとんどはどこかの駅で、たまに大きなビルだった。「今新宿の〇〇ビルの屋上にいる。今から飛び降りる」。そんな感じだ。
私はその度にAさんを家に連れて帰り、ごはんを作って食べた。この時Aさんは、元彼のせいで職と家を失っていたので、他に帰る場所が思い当たらないようだった。
夜中に包丁を取り出しては「今から自分を刺す」と言う。私は包丁を奪い、自分を傷つけてはいけないと話す。そういう夜を幾度も過ごした。
何ヶ月か経った。
私は疲れ果てていた。
ある時Aさんは、夜中に、ベルトを取り出して首に巻いた。「これから死ぬ」と言う。
私は限界だった。止めなかった。
Aさんはベルトを首にきつく巻いた後、苦しみ始めた。私は布団に臥せっていた。本気ではない、そう思っていたから、黙っていた。死ねばいいじゃんと言おうとも思った。もう嫌だった。私、何度も止めたよ。何度も迎えに行ったよ。何度も話を聞いたよ。何度も背中をさすったよ。病院にも連れて行ったよ。一緒に診察を受けて、薬をもらったよ。これ以上、何をすればあなたは死のうとしなくなるの。どうしたら私を振り回さなくても生きていけるようになるの。何も分からなくてじっとしていたら、うめき声が聞こえた。少し顔を上げて、Aさんの方を見た。
Aさんは血流が止まったらしい様子で、真っ赤な顔で、目が飛び出しそうになっていた。私は起き上がってベルトをほどきにかかった。ほどけなかった。ハサミを取り出して、暴れるAさんを押さえつけてベルトを切った。
動かなくなるAさん。呼吸をしながら、顔が少しずつ元の色に戻っていくのを見ていた。
「私は今、この人が死んでもいいと思ったのか」と思った。「死ねばいいと思ったか」と思った。
もう死んでもいいと思ったか。
この時しばらくAさんを助けずに黙っていたことは、今でも罪悪感として残っている。夜中にふと思い出しては苦しい気持ちになる。
ベルトの一件以来、Aさんは自ら死のうとはしなくなった。代わりに無気力に座っていることが増えた。
この後、私はAさんの実家を訪れて、ご家族にAさんを任せることになる。
今TLを見ていたら、トランセンドのシナリオと、死にたいと言う男性を救ったお坊さんの話が流れてきて、感情がめちゃくちゃになった。
私も病気が安定せず辛かった時、死にたいと思ったことは何度もある。でも、ぐちゃぐちゃになった家庭の中に1人弟を残していくと思うと耐えられなかった。私が自死を選んだ後に彼が背負うであろう心の傷のことを考えると、死んでしまおうとは思わなくなっていった。
なんで生きたくても生きられずに命を奪われる人がいるのに、救ってもらえず自分で死んでしまう人がうまれてしまうんだろう。
なんだよ、命って。こんなに大事なもののはずなのに。みんなすぐ死ぬとか死ねとか言わないでよ。みんな死なないでよ。
私はなんとか自分で自分を救うことができた。でも、自分で自分を救えず、死にたくない理由を見つけられず死んでしまう人がたくさんいるのも知ってる。私の知人にも、ご家族を自死で失っている人を知ってる。
どうしたらいいんだろうね。どうしたら、そういう人たちは救われたんだろう。死が救いだなんて、絶対思っちゃいけない。どんな状況にあっても、人間は生きていなきゃいけない。「死んで楽になれたのかもね」と言っていいのは、遺された人達だけだと思う。遺された人たちが、自分達の救われない心を慰めるために使って、ようやく許されるくらいの言葉だと思う。死んじゃいけないよ。苦しくても生きていくんだよ。日々の中の小さな幸せが、自分の中でだんだん大きくなっていくと信じるんだよ。
Aさんとはその後、4年に渡って深く関わることになる。私はこの人の人生をめちゃくちゃにした責任を取って、一緒に不幸にならなければいけないのだと思い込んでいた。
でも気付いた。
きっかけがあって、私は「人生は自分のしたいことをして、自分で選択をして生きていいんだ」と思えるようになった。
そして最近、病状が安定したのを見て、Aさんの主治医に手紙を書き、Aさんとの連絡を絶った。
嘘というタイトルにしたのに、嘘の話をできなかった。それはまた今度書こうと思う。私がAさんのために、警察相手についた嘘の話がある。
辛かった。Aさんとの日々は、振り返ってみても辛く苦しく、出口のない毎日だったと感じる。辛かったことをなかなか言えなかった。
不特定多数の人に見られるところに不幸自慢のようなことをして、自分ダサいなと思う。ただ、辛かったことを辛かったという場所が無くて、本当に困っちゃったんだ。ごめん、許してほしい。
ここまで読んでくれた人はいるのかな。
いなくていいんだけど、いるかもしれない、誰かが私の辛さを受け止めてくれたのかもしれないと思えるだけで少し気持ちが軽くなるから、これからもたまに書きます。
日付は最初からこの日記に記録されると気付いたので、3回目くらいから省いちゃった。
おふろあったか〜い。けど冷めてきたのでそろそろあがります。おなか冷えるとえらいことになるからね。また辛くなったら書きます。タイトル回収できるのはいつになるかな。