今年、マンションの大規模修繕工事があった。外壁の塗装とか、廊下のシートとかそういうのを直すやつ。ベランダを3か月ほどカラにしなくてはいけないと言われ、途方にくれた。猫に有害な植物をベランダで育てるようにしていたから、ただ室内に入れて解決というわけにもいかなかったのだ。
いろいろと試行錯誤したが、結果として、3か月でほとんどすべての植物を捨てることになった。工事が始まったのは春の初めで、パンジーがフリルのようにゆれ、リナリアが小さな花をたっぷりつけていた。室内に入れてカバーをかけた花たちは、高温多湿で徒長し、色が落ちて枯れてしまった。
工事の間、次々に枯れていく植物を処分しているうちに、想定していた以上の精神的ダメージを負ってしまった。鉢を片付けながら力が入らず立てなくなったり、何もしていないのに涙が止まらなくなったりした。自分でも大げさだと思う。たかが植物だ。近所のホームセンターにいけば昨年とそっくり同じものが売っている。世の中にはもっとずっと大きな喪失があるし、今もそれに耐えている人がいる。
「なんかすごい落ち込んじゃってさー 自分でもバカみたいだと思うんだけど」軽く笑いながら友達に話したとき、「いやそれはそうじゃない?大事にしてたんでしょ」と真剣な顔で返してくれた。茶化そうとした自分を恥じた。私は一連の出来事を「落ち込むほどのことじゃない」箱に入れ、サッサと片付けようとしていた。友達が正面きって返してくれたことで、「他人は知らんが私には大事なことである」箱に堂々と入れることにした。私は植物を枯らすと泣く人間だ。
修繕工事が終わって、ベランダがきれいになった。生き残ったすこしの植物を並べ、カラになった鉢を積んで、またすこし泣いた。ただ、悲しみながらも、やれることがめちゃくちゃあるなともわかっていた。私は生きている植物を捨てることがなかなかできない。花の旬が終わっても、冬を越すことができない種でも、ずっと捨てられずにいた。でも今なら、ファッキン修繕工事によってカラになった鉢がたくさんある。ベランダを再構成するまたとないチャンスだ。
野菜やハーブと花の寄せ植えをはじめた。バジルとトマトを一緒に植えるとなんか良い、とは聞いたことがあった。そこにマリーゴールドを入れるとなんかもっと良いらしい。そういうのをコンパニオンプランツというらしい。植物にそれぞれ特性があることは何となく感じていた。水がたくさん要るのも要らないのもあるし、陽が好きなのも嫌いなのもある。こういう虫が嫌うとか、こういう菌がつくとかあって、それを組み合わせるとなんかいい感じになるらしい。へ~。おもしれ~じゃん。
勘でやっていたことに、知識をつけることをはじめた。私にしては珍しい順序だ。持ち前のオタク気質が災いして、だいたいのことは知識が先行している。でも「"体験"と"言葉"は同じ量ずつないと、心のバランスがとれないのよ」ってミラも言ってた(五十嵐大介 魔女 第2集より)。体験のあとに入っていく知識は、綿にしみこんでいく水のよう。隙間が埋まって、重くなっていく感覚が気持ちいい。今は土壌の勉強をしている。なんか良い土と良くない土があるな、とは思っていたんだよね。
そうしてようやく、私はこれを趣味と呼ぶことにした。心の主要な部分を占めていることを認め、矮小化せずちゃんと大事にすることにした。そうと決まればこんなに心強いことはない。植物は人間よりずっと強い。死ぬまで大丈夫なものを一つ手に入れたようなものだ。