くどうれいん『うたうおばけ』と、鶴崎修功『カジュアルな算数・数学の話』をそれぞれ途中まで読んでいる。
くどうれいんはラジオで何度かクリス智子による朗読を聞いていて、ある程度予想はしていたものの、やっぱりあんまり合わないな。盛岡在住のエッセイスト・歌人ということで、わたしにとってはある意味で憧れの職業人ではあるのだけど、下手に生活圏が被っているぶんだけ、装飾された文章に謎のむず痒さを感じてしまう。知らない他人の自意識が目の前に広がって気恥ずかしくなる。
先日読んだ、小津夜景『いつかたこぶねになる日』も似たような理由で脱落してしまったので、詩人のエッセイがそもそも合わないのか?と疑っている。
一方鶴崎修功(※QuizKnockの人)、文章から本人の声が聞こえてくるようで面白い。公式を丸暗記するのではなく、その数式を使いたくなる"気持ち"を考えましょう……言いそう〜〜〜〜 言いそうっていうか本人が書いてんだから言ってんだよな。当たり前なんだけども。
こちらも自意識丸出しなのに、なんだかニヤニヤしながら読んでいる。結局のところ、書き手の自意識がどうのこうのは単なる理由づけでしかなくて、読み手としてのわたしの勝手な共感が過剰なのかもしれんなと思った。「気恥ずかしい」と「面白い」が、大きさは同じで向きだけ違うベクトルみたいな。
ところで鶴崎さんの本は難易度がちょうどわたしにぴったりでよかった。数学は好きだけど大学の数学の授業はちんぷんかんぷん、高校数学ももう忘れたな〜ぐらいの大人。鶴崎さんは「自分が小学生のときにこんな本が欲しかった」って書いてたけど、これ理解できる小学生、何者だよ……。