デタラメなおじさんと仕事をしていたことがあります。若い頃のことですが。
勝手気まま、変なことに細かくてそのくせトラブルの際には謎の押し出しのよさを発揮する。今思えばまぁ上司の器というものを備えていらしたのでしょう。困った人ではありますがチャーミングなボスでした。
私が忙しそうにしていると気遣って電話をとってくれたりもしますが、相手は実務的な用件をボスには話さないのでコールバック要のメモばかりが倍速で溜まって行ったりですとか。いや却って忙しいな!早よ出かけてくれ!と思ったりなど、日々しておりました。まぁ次第に同僚も私も『ボスの使い方』を心得まして。後々もう少し上手く回るようにはなるのですが。
ある時私が、祖母が生前贈与だといってまとまったお金を寄越したのだけど、何か形に残るものに使うほうがいいのかな。運転免許でもとりますか。と戯れに軽口を叩いたところ「それはすごくいいことだよ!」と。その時なぜか機嫌のよかったボスのほうが乗り気で引っ込みがつかなくなり、数ヶ月の間定時ダッシュで教習所に通ったこともあります。
私はワンオペ事務でしたから各々の勤務体制にもそれなりに影響を与えました。周りの協力がなければできなかったことです。
その時点で「積極的に」車に乗るつもりはなかった。でも後々転勤族の人と結婚することになり、ボスのこの気まぐれは私の生活に大いに意義あるものとなりました。
夫となった人の異動で職場を離れる時も、最後の出勤日までボスは変わらぬボスでした。いつもの退社時のようにそれではと別れ、程なく届いたメールに少し泣きました。長い、労りのこもった感謝の言葉。それ口で言って下さいよと路上でひとり笑いもした。
最後に会ったのはそのしばらく後。私が所用で戻る機会に合わせ職場の忘年会を催していただきました。ほろ酔い上機嫌でイルミネーションを前に「見てごらん!綺麗だねえ。でもともむさんのほうがきれいだよ!」とのたまうボスに相変わらずだなと笑ったものです。酔いに上気した顔をますます赤くして。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。
新幹線が開通した賑やかな博多駅でそのまま別れた。以前は飲みも長丁場だったのにボスも歳をとった...と感じたのを覚えています。
訃報を受け取ったのはそれから数年後。闘病の末のことだったそうです。
離れた私はボスが病に伏していたことも知らなかった。少し前に退職して近場の温泉に通うのが楽しいという噂を耳にしていたからお元気だとばかり。
ずいぶん早く逝ってしまったのですね。
いつだったか中洲で「俺が老いて落ちぶれたらアンタたちは何をしてくれるの!」と嘯いて「その時は上等の段ボールを差し入れてあげますよ」とお姉さん方にあしらわれていたじゃないですか。まだもらってはいないでしょう。約束の段ボール。
寂しいです。何も実感なんて湧かないんですよ。私は今でも。
あれからもう5年も経つんですね。
毎年今時分になるとあの愛すべきデタラメなおじさんのことを考え、胸が軋むような気持ちになるのでした。
思い出すのは苦労したあれこれではなく、笑い合ったことばかり。
東風吹く季節、去った上司に寄せて