知らない誰か

ネットの商品レビュー、読む機会がありますよね。

熱意をもって何かを勧めるもの、買って正解だった!という喜びを伝えるもの、またはその逆。あるいは、そんな使いかたが!という予想外の角度から考察したもの。

内容のクオリティは様々ですし、その中から真に役立つ情報を得ようと思ったら面倒で目が滑ることもままあるのですが、時折ちょっと浮き上がって見えるような毛色の違うものに出会ったりもする。

けっこう昔のことです。サラダスピナーを買おうかと思い立ち、いくつかの商品を比較しつつレビューを眺めておりました。あれは便利なものですがかさばって邪魔ですからね。許容し得るサイズの中で最も実用性の高いものはどれかなと少し悩んだものですから。

色々読むのにも飽きた頃、某お高いサラダスピナーに関する1つのレビューに目がとまります。確か30代男性と名乗るかたのものでした。

『先ごろ離婚して人生で初めてのひとり暮らしを始めました。自炊にも不慣れなためどうしても野菜が不足しがちです。その問題を解消しようとこちらの商品を購入しました』

なるほど。大変なことがあったけど、新しい生活を始めて働きながら色々とがんばっているんだね。

『初めてレタスの水切りをしてみて驚きました。これまでサラダだと言って一体何を食べさせられていたのだろうと』

はい?

『これで水気を飛ばすと野菜がおいしいので、以前よりもよほど頻繁にサラダを食べるようになりました。健康に気をつけて気ままなひとり暮らしを楽しみたいと思います。自炊生活に自信が持てそうです』

いや待て待て待て。

後半あなたの人生のレビューじゃないですか。しかも何なの。「驚きました。これまでサラダだと言って一体何を食べさせられていたのか」という倒置法の部分から放たれる不穏なものは。怨念?

昨今こういった商品レビューには、雇われたサクラのような業者が混ざっているとも聞きますし、真に受けたわけではないのですが... 仮に実在する個人が本当のことを語っているのであれば、まあまあ泥沼化したすったもんだがあったのかなぁと推察します。いや、知らんけど。

とりあえずそのサラダスピナーで野菜の水がよく切れるということは十分すぎるほど伝わってきました。商品レビューとしても価値は高かったのかもしれません。

でもレビューというより知らない誰かの人生を垣間見るような気持ちになった。正直なところ。

そしてもしあれを雇われたサクラのかたが書いたというのなら、こんなところでモタモタしていないで本格的な創作活動に励んでいただきたい。あなたのお話には心を掴んで離さない何かがありますよ。と思うなどした、ある昔の日のネットショッピングつれづれでした。