催花雨

2018年、ひとりの青年が海を越えベースボールの国へと渡りました。

西海岸の比較的小規模な都市を拠点にその輝かしい歩みは始まったのでした。

あれから6年もの間、彼は私たちに幾多の驚きや喜びを与えてくれたでしょう。名を聞けば誰もが自然にその姿を思い描くような、老いも若きも全ての世代に知られる選手に彼はなった。

その非凡な功績に「どこの惑星から来たの?」と、ベースボールの国のレジェンドが問うてしまうような。ビジター球場の試合で敬遠され歩かされれば、現地のファン(対戦相手を贔屓するはずの)からブーイングが巻き起こるような。そんな、世界中で愛される選手に。

6年間。その長きにわたり、彼の傍らにはとあるバディの姿がありました。いい時も、そうでない時もずっと。

ただの通訳さんではなかった。時にはマスクを被って彼の球を受ける機会もあり、おそらくは公私にわたって信を置いた友でもあったはずです。

あの事案が報じられた日、お隣の国で開催された開幕カードの試合で彼がいつものようにヒットを打ち躍動する姿を見ました。

あなたはこの素晴らしい青年が見せてくれる夢を、一番近くで見ていられる立場にあったんだ。この先も、きっと長い間。

それはこの上なくわくわくすることではないのか。ギャンブルよりも血が滾るような感動なんじゃないのか。どうして?と。

そう思うことを止められなかった。私は。

でも、そういった何もかもが見えなくなるから「依存」なのでしょうね。一種の疾患なのだそうですから。

そうであるならば、然るべき支援があるよう願います。あの優秀なかたが再び、自分自身を客観的に見られるように。自らがなしたことを実感として受け止め、省みることができるように。

私たちは大人ですから、この顛末が報じられるのを見るにつけ、経験則から「まるで誰かが準備した筋書きを辿っているようだ...」という印象を受けないこともないですが。それは探っても詮無いことです。外側から見ている者が面白おかしく揶揄したり、憶測で素人ジャッジしていいようなことでもない。

「有罪だと言われるまでは無罪として扱われるべきだ」

彼の現在のチームメイトがそう語っているのを見ました。わたくしもそのように思います。

この先騒動がどのように収束して行くのか、今はまだわからないけど。

せめてこの嵐のような状況が、いつかまた光差す場所に咲くための雨となるように。

残酷な言い様とは知りつつそう願うことしかできない。

彼らがふたりで居るところを見るのがとても好きでした。