女と女の間にあった愛は、なぜ「産む」に変わったのか『悪役令嬢の中の人』コミカライズの感想

tndr215
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公開:2025/6/2

※批判的意見を含みます。

女と女の間にあった愛は、なぜ「産む」に変わったのか。

『悪役令嬢の中の人』のコミカライズ連載が完結した。↑でも少しふれたけど、もう少し自分の中のモヤモヤを言葉にして残しておこうと思って。

最初に断っておきますが、原作は読んでいません。あくまでコミカライズの感想です。原作にふれることで得られるものより、失われるものの方が大きい気がするので、あえて現時点での感想として記録します。


「アンタも転生者でしょ?」のコマ広告でおなじみの『悪役令嬢の中の人』。普通の女子大生である「エミ」は、大好きな乙女ゲーム内の最推しだった「最強チート悪役令嬢・レミリア」の幼少期に転生してしまう。「それなら、レミリアたんを世界一幸せな女の子にする!ゲームのような悲しい運命を迎えさせたくない!」と、持ち前の善性で奮闘した結果、レミリア(inエミ)は誰からも慕われる「完ぺきな美しい淑女」へと成長した。

しかしゲーム内の主人公である「星の乙女・ピナ」が現れ、彼女の中身もエミと同じく「転生者」だったことが悲劇の引き金になる。ピナの策略で冤罪を被せられ、結果としてレミリア(inエミ)はゲーム内と同じく、婚約者から婚約破棄を突きつけられる断罪イベントへ……。だがエミがそのショックで意識をなくしたとき、本来の「悪役令嬢・レミリア」の意識が目覚めたのであった!

レミリアの本来の人格は、エミの頑張りを自分の体内からすべて見守っていた。エミがどんなに自分を愛していてくれたか、そしてそのためにどんなに努力をしたのか。レミリアは、もはやゲームと同じ人格ではなかった。なぜならエミからの大きな「愛」を受けて、「愛を知るレミリア」となっていたからだ。ピナを、そしてピナといっしょにレミリア(inエミ)を貶めたやつらを、決して許さない――本物の悪役による、復讐劇が始まる……!

と、いうのが『悪役令嬢の中の人』の大まかなあらすじ。


異世界転生・悪役令嬢という王道ジャンルを踏襲しながらも、そこに「推し」と「オタク」の非対称でありながらも濃密な関係性を持ち込むことで、新たな愛の物語を紡いだ、極めて魅力的な作品だった。

推しキャラであるチート悪役令嬢「レミリア」の幼少期に転生してしまったオタク「エミ」は、自らの愛情と倫理観に基づいて、最推しの幸福をただひたすら願い、育てていく。そんな「推しのために頑張るオタク」の愛が、「誰からも愛されなかったはずのチート悪役キャラ」の心のうろを満たしていく。

エミの無償の献身を受けたレミリアは、「エミのレミリア」として自らのためではなく、エミの価値観のままに世界を救う。レミリアの元来の性質は、間違いなく「悪性」。それが「善性の塊・エミ」の価値観をもとに「エミならこうするから」という理由だけで、すべてこなしてしまう。もともと「主人公(プレイヤー)を邪魔するために与えられた」チートなほどの能力に、エミからの愛という「魂の核」が加わったレミリア様の姿は、まさに最強チートヒロイン。

もともとのゲームでの「悪役令嬢・レミリア」は、婚約破棄を告げられた元婚約者からの愛が欲しいがために、世界を滅ぼさんとした。たった1人への「愛」ゆえに「世界を滅ぼせる力を与えられている」のだから、「世界を救うことすらも、容易い」という構造が、とても面白かった。

女の子が女の子のために頑張るけれど、2人は決して意思疎通はできない。でも、お互いを想い合う純粋で大きな「愛」が、確かに存在している。女から女への無償で純粋な愛情が、随所で描かれている。

な、なんて素晴らしい百合漫画なんだ…!いや、百合と言っていいのかはわからないが、「女と女の間に生まれた大きな愛が、たまたま世界を救ってしまう」という文脈が、わたしにとってはかなり新鮮で鮮烈に感じられ、楽しく読んでいた。とにかく漫画が上手い。コミカライズの絵が美しく、迫力があり、構成も演出も説得力が強い。

だからこそ、ラストに描かれたレミリア様が「エミを子として産む」という展開は、それまで物語が積み上げてきたものすべてを凡庸な「家族愛」にリセットしてしまう暴挙に感じられた。

物語前半から積み上げてきた、「女と女が紡ぐ魂の絆」、「愛が人を変える力」、そして「悪役であることに価値を与え直す構造」──それらが、ラストで一気に「異性愛・結婚・出産・母性」という規範的フォーマットへと回収されてしまう。

いや、確かに「出産」や「家族」もまた愛のかたちというのはわかっている。

でもレミリア様とエミのあいだにあったのは、母娘でも、恋人でも、姉妹でも、親友でもない、もっと言えば「愛」という言葉すら手狭に思えるような、しかしその全てを内包する「女と女」のあいだにしか生まれ得ない、繊細で特異な感情だったはずだ。わたしはそうやってこの作品を読んでいた。そうやって表現されていたから。

さらに言えば、ピナ(の中の人)の処遇もまた、極めて一方的な「ざまぁ」というだけだった。物語のカタルシスとして消費されるその悪役像は、レミリア様がかつて置かれていた構造と何が違うのだろう。しかも原作での「転生者ピナ」は「殺害以外はなんでもしていい」というさらに救いのない処罰を受けていると知り、とても読めないと思った。

たしかに「オリジナルのレミリア」は間違いなく悪性の女だ。「エミのレミリア」として善性で振る舞っているだけで、本性は変わらないという話なのはわかる。だからこそ復讐方法がえげつないのも、説得力はある。

しかしラストの回収が「悪役として生まれてしまった存在にも、愛は向けられていい」だったのに、最後にはその構造が「転生者ピナ」へ見事に繰り返され、むしろよりえげつない形で終焉してしまう。その二重基準に、「エミの愛は、誰にも愛されなかった悪役のレミリアを救った」というテーマ――エピローグでレミリア様の「自分自身すら見捨てたわたくしを、エミだけが愛してくれたことがどんなに嬉しかったか」という語りも、演出や表情が素晴らしく胸が熱くなったところではあったのに、薄く感じられてしまった。


最終回前に更新された番外編で、レミリア様自身が「ロマンス以外で、もっと根源的に共有できる価値観がある」それは「生きる喜び」で、種族や世界すらも超えて、魂でわかち合える感情――と語っている。それをエミが教えてくれた。エミから与えられたこの愛で、今日もわたくしは育まれている…。

それをなぜ、「産むことで愛を残す」という形にまで落とし込んでしまったのか。

世界を滅ぼす力を持った最強チート悪役令嬢は、愛し愛された人がどうしようもなく善性だったから、世界さえ救ってしまう――そのスケール感に「レミリア様カッコいい!素敵!そのままエミのために世界を変革しちゃって!」と思いながらペンライトを振っていたのに、それが最後の最後で「女の幸せ」のテンプレート(結婚・出産)に押し込まれ、矮小化されてしまうとは…。

そこにどうしようもない物語的な雑さ、いや、異性愛規範の自動復元装置のような強引さを感じてしまった。

『悪役令嬢の中の人』は、間違いなく魅力的な作品だった。途中までの展開は本当に素晴らしかった。

レミリア様が「エミならこうする」と振る舞うたびに、世界が変わっていく描写には、「女から女への愛が世界のシナリオすら書き換える」という文学的力強さすら感じていた。

なのに、ラストの展開で急に「オタクにとっての最大のご褒美は、推しに産み直してもらうことだよね!」と言わんばかりに矮小化されて終幕してしまった。それまでの繊細な関係性の積み重ねを、「産む/産まれる」という直線的な家父長制の図式に押し込められてしまった。

「推しとオタク」という、血縁でも契約でもない絆が、世界すら救うことができたのに…。どうして最後は「母と子」にならなければいけなかったんだろう。結局いつも「愛」の行き着く先はそこ、と言わんばかりのラストへのがっかり感。

レミリア様の「規範外の愛」に感動していたので、「規範的な幸せのテンプレ」の結末が、本当に、心の底から残念だった。コミカライズの単行本最終巻も買うけど、結局この「大好きな人と家族になれて、ハッピーエンド(原作者のXより)」が、世間一般の支持する「ハッピーエンド」なんだな…というもの悲しさは残る。

なので、ここに言葉として残しておきます。

@tndr215
なまえ・ジャンル:ふらみんちゃん(17)ところにより天瀬ちゃん インターネット17歳をしています おしゃべり大好きオタクsizu.me/tndr215/posts/5insomdbriwu