わたしが求めてる場所ってどこなんだろうな。
よく言うじゃんか。相手と比較するんじゃなくて自分と比較していくことって。
わたしは1回、4桁台とかのすげえ評価をもらってしまったせいで、いつまでもそれに勝てないし、みんなそのときのわたしがすきで、いまのわたしは落ち目だとか、調子乗ってたね、とか、そんなこと思ってんだろうな、ばかりずっとずっと思って、くるしんでいる。
でも多分それは、自分が自分に言っていることばだ。だってそんなこと、面と向かって言われたことは無い。匿名ツールではカプの顔してるの?とか、タグつかうな、みたいなのも来たことはあるけど、自分が思っているようなことは言われたことは無い。
だからぜんぶ、自分が自分にいっている。おまえはアレ以上になれない、落ち目なんだ、もうだれもおまえを神文字書きだとか、そういってちやほやしてくんないよって。
フォロワーが多いひとにフォローされるのも、嬉しかった。特別と扱われているみたいで、嬉しかった。嬉しかったけど、結局それも相手をステータスとしか見てないことなんじゃないの、って思った。あんなフォロワーが多い人に、それでもフォローが少ない人に、私はフォローされている。すごいでしょう。リプもしている。すごいでしょう、みたいなさ。
それってさあ。ほんとなんか、ほんと、かなしい、っていうか、なんというか、うん。わたしって、数字しか見てないのかな……。というか、数字に囚われてんのかなあ。だれかに特別って思われていたい。創作は、それをもらうためのツールになってしまってる、のかも。創作がないと生きていけないとおもうのは、それがなくなったら、わたしはなんにも特別ではなくなってしまうから、……。
わたしは、そのまんまのわたしは、愛されないと思っているよ。だって、そうでしょう。そのまんまのわたしが、どうして誰かに好かれると思うの。ないものねだりだ、いつだって。愛されたいから、愛してくれない人ばかり気になる。自分を好きでいてくれるだろう人の存在を忘れる。苦手な人のことばかり気にする。
すきなひとを、すきなひとだけをみていたい。相互になってくれたのにアカウント、消したくないよ。でも自分の存在を消してるのにフォローされてんの、くるしいよ。自分だって消してんのにね。
それだったらぜんぶまっさらにして、無くしちゃいたいって思うのはだめなことなの。なくしたい。ぜんぶ、ぜんぶ。
いつだってあいされたい。あいされたいんだ、わたしは……