この記事はエッセイではなく、悲しみの赴くままに書き綴っている日記に近いものです。
先日誕生日だった。それで本を買おうと思った。
本やキットを積むことが多く、これ以上積むなら物理本ではなく電子書籍にしてほしいと家の人間に厳命されている。
生活上あまり物理本を開く時間がないのもあり、ほとんど電子書籍でやっているのだが、スペースと資金と時間がゆるすなら物理本を買いたい。
物理本がよいなと思うのは、視覚以外に触覚で読めることだ。どういうこと?
わたしは栞を使わない(というか挟むのを忘れるので使えない)のですが、じゃあ読んでいる途中の頁をどうするかというとそのまま閉じてしまう。
次に読むときは、持ったときの感じでだいたいどこまで読んだか思い出せる。
あと本の一節を思い出すときも、本のどっちページのどこらへんに書いてあったかの記憶とともに蘇ってくる。
文字での認識力・記憶力があまりよくないので、それ以外の判断能力が発達したのかも。
ところが、それが電子書籍だと使えないので困ったことになる。
電子書籍は多くの場合フォントサイズが可変だし、画面の大きさによってどこに書いてあったかも変わる。それに、どんなに読んでも右手と左手で重さやページの嵩が変わらない。
こうなるとかなり読みづらくなってしまい、難しい言い回しなどが理解できなくなる。
わたしだけなのかもしれませんが。
だれか白紙の物理本に電子書籍を投影するデバイスを発明してほしい。
かなり脱線したけれど、とにかくふだん節制している物理本を買ってもよかろうと思ったのだ。誕生日があったから。
それで、仕事も半休を取ったのだ。家の人間たちの目のないところで好きなだけ、具体的に言うと1万5000円分本を買おうと思ったのだ。他の用事を済ませて、さあ行くぞと近くの大型書店に行ったのだ。
そうしたらよりによって、今日お休みだった!
よりによって!
お盆はずっとやってたのに!
かなしい!
事前に調べないわたしが悪いですが、しかし、もしかしたら、積本を司っている大いなるものにお前は買うべきではないと言われているのかもしれない(あーあ、人間は不都合があったときにすぐ大いなるもののせいにする)。
しょうがないので変な飲み物をコンビニで買った。

ココナッツと杏仁と白桃の味が全部する。
最近小説を読めるかもと思ったこともあり、小説を買おう!とうきうきしていたのだ。
わたしはたいへん悲しい。
たいへん悲しいので、買いたかった本のリストを書いておきます。括弧内は金額。
「スロー・ルッキング」シャリー・ティシュマン、東京大学出版会、2025 (4,620)
「積読の流儀」中野善夫、国書刊行会、2026 (3,520)
「無常商店街」酉島伝法、東京創元社、2025 (1,700)
「八月の光」ウィリアム・フォークナー、光文社古典新訳文庫、2018 (1,716)
「現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す」上羽陽子、山崎明子編、フィルムアート社、2020(2,640)
「はじめての近現代短歌史」髙良真実、左右社、2024(2,530)
「はじめての文語短歌」髙良真実、左右社、2026 (2,640)
「リストランテ・ヴァンピーリ」二礼樹、新潮社、2025 (1,870)
「スイマーズ」ジュリー・オオツカ、新潮社、2024 (2,035)
「ナラトロジー入門」橋本陽介、水声社、2014 (これはおそらく売っていない)
「すべての、白いものたちの」ハン・ガン、河出書房新社、2016 (935)
「死の家の記録」ドストエフスキー、新潮社、1973 (990)
「すべての石に宿る神」カミーラ・シャムジー、早川書房、2026 (3,960)
「岬」中上健次、文藝春秋、1978 (759)
「微風域」門脇篤史、現代短歌社、2019 (2,750)
おかしい、全然足し算が合わない。全然1万5000円になってない。どうなってるんだ。大いなるものよ!
(あーあ、人間は欲しい本が異常にあるときも全部大いなるもののせいにする)