色々あって、会社員を辞めてから2週間ほど経った。
ここで有益な事実をお伝えしようと思うが、人が「色々ある」と主張するときはたいてい2つか1つくらいしかはっきりした理由がない。少なくとも私はそうだ。
ただ、その2つか1つかの理由を説明するのが面倒くさい。もっと言えば、恐い、というのがあると思う。それで「色々」と言っている。
私にはそういう「面倒くさくて、恐い」ことがいくつもある。
たとえば、実は会社員を辞めたのは人生で二度目だ。
今回もそうだが、前回仕事をなぜ辞めたのか、辞めてから何をしていたのか、人に説明するのが長い間難しかった。
面倒くさく、恐く、考えたくなかったのである。
しかし、この世界で唯一、時間だけがこのことを考え続けてくれていて、どのように説明すればよいのか今では私にもちゃんとわかっている。
わりと長い話だが、その話は「前回は」で始まり、「まじでチラ裏だと思いませんか」で終わる[1]。
前回は、辞めてから海の近くに引っ越した。
引っ越したのは夏の終わりごろで、家を出ると富士山がよく見える場所だった。周りに高い建物がなかったのだ。
残暑が厳しかった。歩いて30分くらいの無印良品に生活用品を買いに行き、あまりの暑さと重さに「行軍だ……」と5回くらい言ったらパートナーにしつこいと怒られた。
近くに大きいスーパーがあって、海が近いからなのかわからないが、私が今まで知っていたスーパーよりも鮮魚コーナーが3倍大きかった。聞いたことのない魚がたくさん並んでおり、見たことのない深海魚が丸のまま売られていることもあった。
その時辞めた理由は、対外的には「結婚するため」と説明していた。実際そうだったし、同時にいくつかほかの細かな問題もあった。
しかし、自分の中では明確に違う理由があった。
端的に言えば、私は逃げた、と思っていた。
高校生の時に進路を決定するにあたって、人付き合いがとても苦手だったので、自分は一般的な企業に就職することは無理だろうと思った。
適切なコミュニケーションというものに対し、ずっと苦手意識を感じていた。自分を上手に制御できなかったし、まずどんな振る舞いが求められているのかわからない。
それで、ずっと一人で益体もないことを考え続けるのは得意だし、正しいことを見つけるのも好きだし、研究を仕事にしようと思った。
高校生らしい純粋さであるが、研究職であれば人とのコミュニケーションをあまり求められないだろうと思っていたのだ。
しかし、大学に入ると、「どうやらそうでもない」ということに薄々気が付き始めた。
ここで有益な情報その2を披露するが、研究職だからといって他人とのコミュニケーションが必要ないわけではない。むしろ、他人だけではなく自分とも上手にコミュニケーションをとる必要がある(自分が何をわかっていて、どういう立ち位置にいて、これから何をすべきなのか)といえる。
うっすら自分は研究には向いていないのかもしれない、という恐怖を感じながら大学時代を過ごした。
その後なんとか企業に滑り込み、一応は研究職として与えられたテーマをこなしていたが、毎月の成果発表のたびに、「お前はこの仕事に向いていない」「前回と一体何が違うのか」「お前ではなく他者にこのテーマを任せるべき」と言われるのではないかと怯えていた。
特に誰にもそのようなことを言われたわけではないし、やらなければならないことも自分なりにはやっていたのだが、日に日にその恐怖が強くなっていった。
早朝に目が覚めてずっと天井を見ていたり、動悸が止まらなくなるなどが続き、なるほどもうだめなのだ、と思った。
仕事を辞めた後、自分が高校生から目指していたルートは行き止まりだったのか、と呆然とした。
それでは分岐まで戻らなくてはならないのだろうか?一体どこから?
一体自分が何をしたらいいのか全く分からなかった。
毎日「仕事がない」「でも自分は結局何をしたら良いのか」「何かしなくてはならない」という焦燥感に駆られていた。
残暑が過ぎ去り、冬になった。コートを着て、歩いて1時間くらいの図書館に毎日通っていた。せっかく時間があるので、この機会に大作を読み通そうと思った。
たくさんの本を開いたと思う(たぶん)。
でも正直、この時期読んでいて記憶に残っているのは、岩波少年文庫のホラー短編集に入っていた、ジュール・シュペルヴィエル「沖の少女」という短編だけだ。
「沖の少女」は、大西洋の沖合、海に浮かぶ小さな村に一人で住んでいる少女の話。ロマンチックな話だ。
村は船が近づくと海の中に沈んでしまう。少女は一人で村に住んでいるのに、村々の家のロウソクをともしたり、カーペットを干したり、暖炉で火を炊いたりする。
印象的なのは一人で小学校に行き、好きな練習問題を解く場面だ。少女は練習問題が自分に話しかけてくれるようだから好きなのだと言う。
括弧内に入る疑問詞を答えよ。あなたは( )ですか?あなたは( )思いますか?……ああ、あなたは( )つらいのですか?
せっかく人生に迷っているのだし、自分に「沖の少女」を重ねたらかっこいいんじゃないか。海で黄昏て人生の意味などに思いを馳せたらさぞいい感じなのではないか。
開けた長い砂浜で、夕暮れ、ほかに誰もいないまま、「沖の少女」を探している場面。
なんか将来回想録とかを書いたときに、これはかなりいい感じのクライマックスになるのではないか。
なぜこの短編のことをよく覚えているかというと、ざっとそのようなことを考えて海に行ったことがあるからだ。
海は最寄り駅の近くにあった。
かなり冬も深まっていて、コートを着ていたと思う。
駅の駐輪場に自転車を止め、駅とは反対側の道路を降りていくとそこが砂浜だった。
ああ、あなたはなぜ、つらいのですか?
砂浜に降りると、想像していた「沖の少女」が見えるような感じの開けた長い砂浜ではなく、曇った色を反射した灰色の砂が唐突に表れた。
ちょうど高速道路の下に砂浜があったので、道路の大きな柱が砂浜の間に立ち並び、なんというか、逆厳島神社というのか、とにかく思ったのとは違っていた。
さらに、ちょうどいいスポットだったのか、ちょうどいい時間帯だったのか、釣りをしているおじさんが等間隔で並んでいた。
しかも信じられないくらい密集している。ざっと見渡す限り5m間隔くらいでいる。
やわらかい砂浜で靴が沈み、靴の中に砂がたくさん入った。
できない。無理だ。
どんな回想録だとしても、逆厳島神社で黄昏る主人公はちょっと画にならない。
さらに、5m間隔で並んでいる釣り人の中に混じって「沖の少女」と自分を重ねることはかなり難しい。私が入っていったら2.5m間隔になる。
あと釣り人がたくさんいる釣りスポットから「沖の少女」はたぶん見えない。
第一あれは大西洋の話だ。しかも靴に砂が入っている。
めちゃくちゃテンションが下がって、波打ち際まで行かないですぐ引き返した。
人生の目的がなくなったのに、いい感じに海で黄昏ることもできない。
海にも居場所がない。
人生は小説にならない!!!!
そのとき、まじでこの人生このまま続くんだな、と思ったことを覚えている。
この後、特に私の迷走には答えが出ず、「気づき」とかも全然なかった。自分が何をやりたいのか全然わからなかった。
迷走は混迷を極めた。なんか最終的によくわからないままプログラミング学校とかに参加したり、荒木飛呂彦の漫画術とかを読み込んだりしていた。
動機とか全然ない。とにかく何も考えたくなかった。
唐突に、何の前触れもなく、それまでとは全く違う業種の会社が内定を出してくれたのでそこに就職することにした。
住んでいた場所が会社から遠かったので、半年ほどで海の近くから引っ越すことになった。
それが前回、仕事を辞めていた時、私に起こったことのすべてだ。
まじでチラ裏だと思いませんか。
[1] 「チラシの裏にでも書いとけ」の略。本当にどうでもいい、人に話すようなことではない内容だと指摘する際に使うスラング。