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百年のメモ術

tobusuka
·
公開:2026/8/9

測量野帳というコンパクトサイズの帳面をメモに使っている。

野帳はその名の通り、野外での測量や観察結果を記録するために作成されたメモ帳である。測量野帳はその中の一つでコクヨ製。

罫線がLevel、Transit、Sketchの3種類あり、私はSketch(3mm方眼)を使っている。

野外での使用を想定しているために、メモ帳なのにハードカバーで、ポケットに入るくらいのサイズで(ただし、ポケットに入れておいて落としたことが私は2回ある)。それからかなり安価。

使いやすいメモ帳だ。

私の使い方は簡素なものだ。

たとえば仕事をしていて今日やらなければならないことを一覧で書いて、やったら上から消していく。

なんとなく作ってるものの一覧を作りたかったのでばーっと書く。

ブローガストにおいては、書けそうなテーマを上から列挙するのにも使った。

べつに記録するために書いているわけではなくて、書きながら考えたり足場にするために使う。

だいたい私はObsidianというスーパー・メモ・ツールを使っているので、最終的にはそこにすべての文章が流れ着き、野帳を参照することはない。

だから私の野帳はキャッシュなのである。

私のように、野帳を本来の測量観察目的ではなく、日常生活に使う者共を総称して「ヤチョラー」とよぶらしい(へんな名前だ)。


ところで、私はメモが取れない。

メモ術やノート術の類をたいへんに愛しているのに、肝心のメモ取りが下手である。

というか作業しながら目印をつけるとか、生活しながら記録するとかいうことが軒並み苦手である。本の栞でさえ上手く挟めない。挟むことを忘れる。

苦手であるから、憧れがある。

以前メモを取るのがべらぼうにうまい知り合いがいたが、とにかくずっとメモを取っていた。いつでも、何の話でも、ずっとメモを取っていた。

取捨選択というのがメモを取る時点でない。

かなり衝撃があった。メモを取ることと情報の価値判断を切り離しているのだ。

確かにその姿勢は正解で、あとでとんでもないところで「あれ、なんだっけ……?」ということになり、召喚されるのは知り合いその人であった。彼の人ならばすべてメモしているからである。

素晴らしい。私もこうなりたい。

野外用の頑丈な野帳を好んでいるのも憧れからである。

日常生活のふとした瞬間―誰もが見落としてしまうような―に気づき、メモし、あるいはスケッチができたら。

あるいは、何かを学習したメモ。調べて、塗りつぶして、書き足して、絵を描いて、注釈がつけてある。

そこには蓄積がある。美しい理念の一貫がある。何かを見続けて考え続けている人間の思考がある。

外でも内でもずっとメモしたい。

あとでふとしたときに素晴らしいアイディアの種をそこから見つけたい。

私がやっているのはただのキャッシュだが、私が憧れているのは情報の集積所としての野帳だ。

でもだめなのだ。

どうしてかはわからない。「ずっとメモをとっている」状態にどうしてもなれない。

気づいたらデスクトップ画面の何もない部分をずっと見つめていたりとか、電車の中からカーテンの空いている部屋を目を皿にして探していたりする。


以前行った「ユートピア展」(汐留パナソニック美術館)で、とてつもなく美しいノートを見かけた。

今純三という人のスケッチ兼調査記録だ。

(検索していたらこちらで下に記載したスケッチが見られることが判明した

彼は今和次郎という人間の弟である。

今和次郎は、1923年の関東大震災後から、都市風俗の観察や記録をする「考現学」を提唱した人物なのだが(この考現学も風俗を記録する執念の学問みたいな感じでかなり面白い。ちくま文庫「考現学入門」参照)、弟の純三のほうは和次郎から依頼を受けて、住んでいる青森の考現学調査に協力していたらしい。

そのスケッチは、今純三のアトリエの窓の外に映る風景(隣家と雪道と隣家の間の柵と飴売りのおじいさん)がたいへん仔細に描いてあり、かつ描いたすべてのものから線が伸び、名称が記載されている。

曰く、「雀六羽」「雪」「梅」「鶏小屋」「縄デシバッタ葡萄ノ木」「用の済んだ選挙ポスター」。

スケッチの下には「午前十時 曇り 雪ガ5cmバカリ積モッテ居ルガ刻マニ溶ケテ行ッテ居ル・蚊ガトンデ居ル低度ニ粉雪ガ降リテ居ル」。

この風景はほとんど100年前の青森で、私が実際に見ることは絶対にできないのだが、粉雪が落ちていながら少しずつ雪が融けている様が見えるようだ。

当時見慣れた風景で、私だったらこんなものをメモするなど思いもよらなかったろう。しかし、今純三がそのときメモしたから、いまここに現存するように思われるのだ。「蚊が飛んでいる低度に粉雪が降りている」に至ってはほとんど詩のような一節である。なんの心情も挟んでおらずただそこにあるものを、見えたように書いているのに、こんなにも美しいことがあるか。

素晴らしすぎる。こんなメモが取りたい。こんな調査がしたい。助けて!


賢明な読者諸氏におかれてはお分かりのことかと思うが、私がメモを取れない一つの理由はこんなふうに理念から、蓄積から、継続から、生活から脱線し続けているからである。

今純三のノートがいかに美しいかについて考えているうちに1時間が経った。

セミは鳴き、エアコンは風を吹き出し、日差しは生成りの色を投げかけてくるが、そのどれもがメモされずにいる。

野帳はまだ空のままである。

@tobusuka
あまりなんのためにもならない文章を書きます bsky.app/profile/tobusuka.bsky.social