突如、雑に今年の作文の振り返りをする。
今年は作文を書く場所をいくつか作った。
とくに、しずかなインターネット(here)に作文をアップロードし始めたのは今年の5月末からだ。
もともと、文章を書くことは好きなのだが、人に見せることを前提とした作文はあまり習慣にしてこなかった。
客観的な、具体的な、他人に伝わる文章を書くことにすごく苦手意識がある。自分が書く文章はすべて観念的になってしまうという不安がある。
たとえば、私は宇宙の比喩や宇宙の諸現象がかなり好きで、すぐ「でも最終的に地球は太陽に飲み込まれて全員燃えるのでこの話は終わりです」などと言うのだが(※)、そのくせ宇宙については全く詳しくない。
(※なお、これは事実である。下記URL参照)
私は宇宙を連想した瞬間、現実から目を逸らしているのである。
そして、目を逸らす先は事実でも事実でなくてもどっちでもいいのだ。
私は宇宙の知識を求めているのではなくて、それっぽい連想先として宇宙のカードをコレクションしている。
私の文章は常に現実から浮いているところがある。宇宙の話のように、すぐに目の前の対象からそれてどこかに行ってしまう。
そこがずっと気に入らないところだ。
自分の文章に自分で納得する、というのはずいぶん昔から私のテーマである。
今年の5月末は離職したあとの有休消化期間だった。
書店でファン・ボルム「毎日読みます」というタイトルを見かけ、「毎日読むの?!すごい!!」とシンプルに感嘆して手に取った(素直なのは私のよいところである)。
このエッセイ集は本や読書にまつわる随筆がひたすら、53篇も収められている。そんなに読書って語ることあるかな?と思うが、読んでみると、どの切り口も”あるある”というか、読書をしているなら一度は考えたことが・経験したことがあるもので、
(しんどい本を読むときの気持ち、とか、読書しながら気に入った文章を集める、とか、読んだ本リストを作るとき読みかけの本も入れて水増しするよね!!とか)
たしかに読書ってこんなふうに色々な広がりがあったかもしれない、と思う。
そして読書エッセイのためかはわからないが、必ずひとつのエッセイに1個以上の引用が出てくる。
ボルム氏はソフトウェア開発者として大手電機企業に勤めたものの、激務に疲れ果て(と言いつつ7年も勤めていてすごい)、離職したのちにひたすら読む&書く生活ののちにこの読書エッセイを出版したらしい。
そのとき離職していたこともあって自分を重ねた……ということはないのだが、
毎日読んで書くというのはかっこいいな、あと引用が毎回出てくるのもかっこいいな、と思ったので、自分もそのようにエッセイを書けるかやってみることにした。
また、ボルム氏のエッセイは「読書」という思考が飛んでいきがちなテーマでも比較的具体性のある文章だった。
たとえば自分の経験を入口にするとか、自分の偏愛していることを入口にすること、また自分の連想について書きすぎないようにしたり、エピソードをきちんと描写するなどの部分は真似できるのではないかと思った。
で、どうなったかというと、
毎日は読めていないし(11月の読書メーターの記録は2冊)、
あと毎日も書けていないし(5月末からしずかなインターネットの記事は計6個)、
文章は観念的で具体性に欠ける(これは生成AIに言われた)。
あとふつうに再就職もしてふつうに時間もなくなった。
自分なりに毎日やっているはずなのだが、どうしてこうなってしまうのか?
(そしてどうして賃労働に従事してしまうのか?)
わからない。
誰か私を観念的作文をときどき生成する装置として雇ってほしい。
自分の文章がすこしでも具体的になればいいな!と思って作文を始めたのだが、自分でもあまり具体的な文章を書いている手応えがない。やっぱり変なこと書いているな〜現実逃避してるな〜と思う。
だいたい作文というと、どうしても起承転結をつけてタイトルを回収したほうが面白いなと思ってしまう。しかし、別にそうでもない雑記が面白い、ということもあるかもしれない。
「自省録」とかも要はただのひとりごとだし具体性は全然ないが、とつぜんキュウリを捨てろと言ったりしてすごく面白いし。
しずかなインターネットではないところで日記や技術的な生活の工夫を書く試みも始めた。
日記は10月から始めたがまあまあ続いているように思うし、なるべくその日本当にあった具体的な出来事を書けているなと思う。
生活の工夫はあまりそこまで手が回っていないものの、いくつか書きたい記事がある。
さらに、起承転結を考えすぎて、存在しない起や承や転や結を妄想で補完しているのかな?という仮説を立てた。
ひとつの解決策として、この記事は気負わない記録を書く試みである。
いろいろやってみてえらいね。
つまり、いろいろやってみてはいるが、「いっぱい読んでいっぱい書いてもうちょっと具体性のある妄想しすぎない文章を書く」という目標について、あまり結果は出ていないというのが現状だ。
しかし、自分だけではない誰かに向けた文章を書くというのはそれはそれで面白いし、
引用を考えるのもそれはそれで昔読んだ本を読み直す契機にもなる。
総じて、今年は作文プロジェクトのよいスタートダッシュが切れたと言ってよいのではないだろうか。
(正直、自分で書いて、そんなプロジェクトに参画していたんだ……と驚愕の気持ちである)
来年はもう少し、毎日とは言わないまでも、「隔日読みます」くらいはやってみようかなと思っている。
そして来年以降は、太陽と地球だけではなく、他の惑星にまで連想をパワーアップさせてお目にかけたい。
どうしても治らない癖は一度突き詰めてしまうのも一つの方法なのかもしれませんね。