虫が苦手。それはもう、たいそう苦手である。
厳密に言うと昆虫類が苦手なので、クモは大丈夫(足が8本だから)。ダンゴムシも大丈夫だ(甲殻類だから)。
でも昆虫はダメ。本当にダメだ。足が6本あるか、その幼虫だとダメ。
なんでかわからないが、すごく怖い。
いやもちろん昆虫のほうが私のことを怖がっていると思う、なんとなれば私は昆虫よりかなり体が大きく、やろうと思えば捕殺することもできるのだし、
それはわかる、でも怖い。
ところで、私の趣味の一つは家庭菜園だ。
正確に言うと、植物の新芽が出てくるのを見る瞬間が好き。その他の作業はすべてあまり好きではない。
趣味が家庭菜園と説明するのが楽なのでそう言っているが、成長植物伴同居欲があるという表現が正しい。
家庭菜園(あるいは成長植物伴同居)をやったことがある人ならおわかりかもしれないが、植物って虫がすごく寄ってくる。ほんとに、すごい来る。
しかも突然現れる。気づいたらめっちゃバジルとかにくっついている。
まじで虚無から現れる。
考えてみたら、というかもう考えなくても当たり前のことで、自然界には人間よりも昆虫のほうが絶対数も種類も圧倒的に多いし、昆虫は植物を住処にしたり食物にしたりしているし、植物だって昆虫を利用して花粉を運んだり蜜を守ってもらったり色々している(私はyoutubeとかで昆虫の生存戦略みたいなのを見るのが大好きなのでよく知っている)。
食べられる植物とか、いい匂いの植物とかは昆虫や動物を寄ってこさせるためにそうなっているのだ。育てたら虫が寄ってくるのは当然だ。
こんなに虫が怖いのに家庭菜園やってる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは なのである。
それはわかる……でも怖い……
なんでこんなに虫が怖いのに家庭菜園を続けているかというと、元気に育ち続けているレモンの木が1本あるからだ。
私の生活に彼女が居ついてから、もう5年ほどになる。
前述の通り私の趣味は成長植物伴同居なので、新芽が出てくる瞬間を見る以外の作業をあまりせず、しかも虫が怖すぎるのでベランダに出ないことさえある。
そのような過酷な環境にも耐え、2回の転居にも耐え、3回ほど鉢も替え、実こそつけないもののそれなりにすくすく育っている。
彼女の青々と茂った葉を寒い朝に見ると、「暖かくなったら何を育てようかな」とつい考えてしまうのだ。
しかし、彼女にはとにかくチョウの幼虫がつく。虚無から現れる。
虫がつくだけならまだいいのだが、幼虫はものすごい食欲で葉を食べてしまうので、あまりに放っておくとレモンの葉がなくなってしまう。
どこかで闘いの狼煙を上げないといけない。
幼虫捕殺には時期が肝心だ。
ある程度(3齢幼虫くらい)になって目っぽいものが見えるようになるともうダメで、そばにも寄れなくなる。
目が合ったらどうするんだよ!と思う(どうもしない)。
それくらいになると人間が寄ってくるとトコトコと逃げるので、それもいやだ。
わーーーーー、と思う。触っちゃったらどうしよう(どうもしない)。
昆虫と目が合うといつもジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「愛はさだめ、さだめは死」という短編を思い出してしまい、それが特に良くない。
この短編は架空生物の生涯を一人称視点で描くSFだ。
架空生物が人間とは全く違う成長過程や、成長に伴う体の変化に何を考え、何を決意し、どう成長していくかをわずか30ページ程度で描く。
どんな生物かは詳しく説明されないが、一人称視点なので、地の文に「狩り足」や「腹甲」「汁首」など、この生物特有の体の部位名が表現される。
そこから推測するに、この生物はおそらくかなり大型の毛の生えた、足が4本以上ある昆虫のような感じの見た目だと思われる。糸も吐ける。
目が合うと、この幼虫の思考がジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編みたいになってたらどうしよう!と思うのだ。
つまり、どうしても一瞬、幼虫の一人称視点になってしまう自分がいるのである。
地鳴りのような音がひびき(ベランダ開閉音)、突然雨が降ってきたと思ったら(じょうろで水をやる)まるで山のような蠢くモノが現れる(私)。
蠢くモノは雷のような音を出し(私の恐怖の叫び声)、側面からにゅっと長い棒(私の手と剪定ばさみ)を出して俺の体を——
話しておくれ……幼虫が大きくなる、と。
今年はもう5匹羽化を見届けた。