すごく積読をしている。皆さんは積んでいますか?
前回離職していたときに数えたところ、確か200冊くらい積んでいる本があるなという感じだった。それから4年たったのでたぶん1.5倍~2倍くらいになっている。
私の場合、Steam(PCゲームのプラットフォームサービス)での積みゲー、ハンドメイド系の積みキット、蒔こうと思って買ったけど蒔いていない「積み種」もあるので、これらを味わうための可処分時間を計算するとすごいことになると思う。一体どういうことなんでしょうか。
化粧品・服などは「化粧をするための顔が一つしかない」「着用するための体が一体しかない」ことを理由に買わないでいられるのだが、どうも本やゲーム、手芸はそうもいかない。
すべてを読みたい、すべてを作りたいと思ってしまう。
読んだり作ったりする人間はもちろん一名しかいない。しかし、頭の中では複数の自分が同時にこれらをこなしている情景が浮かんでいる。
体調が悪くてベッドで天井を見つめているときなど、「時間を無駄にしている、いますぐ本やゲームをミキサーにかけてペーパーフィルターで漉し、その汁を飲んで本とゲームを味わったことにしたい」などと思う。
本来、読書やゲーム・ハンドメイドはそれを楽しんでいる時間、味わっている時間を楽しむものなのではないか。
「ではないか」というか、それ以外にあるのかという気もする。
実際自分も読んだり作ったりしている時間が楽しいはずなのだが、よく考えてみると、ちょっと後ろ暗い愉しみも持っている。読んだり作ったりする時間と同じくらい「終わって振り返る時間」を楽しみにしている気がするのだ。
本を読み終わって、本の内容を振り返る時間。ゲームを一通りクリアして、ほかの人のプレイ日記を読んで共感している時間。ハンドメイドでできたものを、色々な角度から眺めている時間。
時間を共にした作品群がリストになっているとなお良い。
たとえば、私は読書メーターというwebサービスで13年くらい読書記録を付け続けている。”読んだ本”というページを開くと、いままで読んだ本の表紙がぶわーっと出てくる。それから、主にPCゲームを買っているSteamというサービスでも、買ったゲームが”ライブラリ”というページにぶわーっと表示される。
このような長いリストを下にスクロールするだけで、それぞれの記憶が一気に想起されて、混然一体となる。
楽しい。おもちゃ箱を眺めているようだ。
いや、なんなら、読んだりプレイしたりしていなくてもいい。もうリストだけでいいのだ。
私は先ほど「その時の記憶が想起されて……」と書いたが、あれは半分嘘と言っていい。なぜならリストにあるすべての本を読んで、すべてのゲームをプレイしたわけではないからだ。
正直なところ、読書メーターの読書記録も、Steamのライブラリにしても、雑に読んだ本とかほぼ覚えていない本、マジで最初のボスだけクリアして辞めているゲーム、海に潜るゲームなのに海に潜るのが怖すぎて海面に浮いているだけで終わったゲームなどが大量にある。
それでも楽しい。
リストを見ていると、ぶわーっと真実と嘘の記憶が想起されて、混然一体となるのだ。楽しい……。
最近は「ハンドメイド キット」と画像検索して、買わないし作らないハンドメイドキットの画像リストを一人でずっと見ていることもある。
こんなものも、こんなものも作れる。存在しない作った時の記憶がよみがえる。あのワイヤーを結ぶところは難しかった(作ってない)。あの糸選びは我ながら秀逸だった(作ってない)。
ボルヘスが書いた「バベルの図書館」という短編がある。
アルファベット25文字のランダムな羅列が記入された本がほぼ無限に収蔵されていて、組み合わせによって「この世にある・あった・ありうるすべての文章が収蔵された巨大な図書館」の話だ。
この短編はその図書館に収められた幻の「真理」の1冊について語る部分がある。しかし、私に言わせてもらえば、「1冊の本」にすぎないものはこの際、もうどうでもいい。
バベルの図書館の”蔵書リスト”、タイトルだけでいいので、エクセルに落としてGoogleドライブにアップロードしてもらえないものか。