秋なので、金木犀の匂いがしますね。みなさんは金木犀の匂いをご存知ですか?
私が金木犀の匂いを認識できたのは、成人後しばらく経ってからだった。
それも、ロフトかどこかで『金木犀の香り』なる練り香水のサンプルを開けてみて、ふーん、これが金木犀なのか、というふうに学んだ。
だから「金木犀の香りがする。秋であることだなあ」などの感慨は全くない。
むしろ金木犀だ!伝承の香りだ!嗅げる……嗅げるぞ!!という感じで、自分のライブラリの中にあるものと実生活がリンクした喜びを毎度感じる。
だいたい香りというのはあまり表立って教育されないものの1つではないかと思う。
文字でも音でも伝えられないし、香りを教室に持ってくることはできないし、あまり遠くまでは飛ばないことが多い。
かろうじて化学の時間にメロンやバナナの匂い(芳香族化合物)を嗅ぐことがあるくらいか。
アーモンド臭……これは青酸カリ!ができたらどんなにかっこいいだろうと思う。
しかしまずアーモンドの香りがわからない。自分がアーモンドの香りだと思っているものが、本当に他の人の思っているアーモンドの香りと同じかも自信がない。
私には殺人犯を見つける素質がない。
そもそも子供の頃から鼻炎持ちなので、人よりも匂いのことがよくわかっていないのだと思う。匂いの解像度が低い。
もしかしたら金木犀についても幼少期に嗅いだことがあるのかもしれないが、全く覚えがないことからもうかがえる。
私はものすごい近視もかかえており、裸眼だとたいていのものは色のついた長方形にみえるのだが、匂いについてもどっこいどっこいなのだろう。
ただそんな私も、金木犀はわかるようになった。
だから、金木犀の香りがするとすかさず「金木犀だ!」といって金木犀をさがす。
これははしゃいでいるのである。
また、私は養豚場の匂いについてはすぐわかる。養豚場と養鶏場と酪農場の匂いのちがいもだいたいわかる。
そのため、養豚場の匂いがすると「ここらへんに……豚、がいますね……」としたり顔で言う。
青酸カリを含む他の全てがわからないので、そのくらいのことは許してほしい。
自然の香りや、生き物の種類、車種、機械の名前、とにかく外界にあるものを同定することは本当にかっこいいと思う。
ただそこにあるものの名前を呼んでいるだけなのだが、魔女の宅急便を見ながら「これはコクマルガラスですね」というとなんかすげー、と思う。
そのものの名前をよぶことは、そのものの存在を認めることだからだ。
以前読んだこの記事がすごく良かった。
この記事は、草花の名前を674種覚えて、散歩で出会った草花を認識していくという試みの話だ。
当然のことながら、草花の名前をたくさん覚えると草花をたくさん同定できるようになるのだが、その表現がすばらしい。
これは、意識して見ているというより
自然と情報が目に飛び込んでくる感覚で
世界に新しい「レイヤー」が追加されたかと思いました
草花の名前を覚えることは、それぞれの草花を認識できるようになること。
レイヤーというのはデジタルイラストソフトからの借用語で、他のもので例えると「OHPシート」とか「眼鏡」とか、とにかく今見えている景色を一瞬で変えてしまうようなある種の層構造のことだ。
色のついた長方形しか見えない私の視界が、眼鏡をかけると突然雑踏に投げ出されるように、この人は突然草花の世界に投げ出されたのだ。
かっこよすぎる。私も日常の解像度を上げたい。
じつは、昔全く同じ事を考えて、百科事典を最初から読んでいったことがある。
一度などは写したこともある(残念ながら私の場合は無給だった)。
百科事典は「百科」と自称するくらいだから、おそらく世界の大体のことが載っているのだろう。大体のことが載っているのだから面白いに違いない。そして、読み終えたらきっと世界が圧倒的にクリアに見えるはずだ。
もちろん私の解像度が低いままであることからもわかる通り、この試みは二度とも4項目くらいで終わった(そのため、地下道は最後まで掘れなかったと思う。この場を借りてお詫びしたい)。
せめてもの成果として、「百科事典最初から写すあるある」を3個お聞かせしよう。
百科事典最初のほう開いて置いとくの大変すぎ。勝手に閉じる。
字がちっちゃいから「ここまで写そう」と見積もっても思ったより時間かかる。
「愛」にめっちゃ詳しくなる。
……事典類を暗記する、というやり方は、網羅的かつ体系的で素晴らしい。
素晴らしいのだが、欠点として「めっちゃ大変」である。
当たり前だ。
めっちゃ大変だけどやるから価値がある。めっちゃ大変だけどやるからかっこいい。
でもめっちゃ大変だからすぐ挫折しちゃう!!
笑い話のように百科事典の話を書いたが、私の見立てでは、「辞書・事典類」を通読/暗記しようとした人間(そして挫折した人間)は他にもいるのではないかと思う。
それも、かなりの数いるのではないかと思う。1クラスに4人くらいはいる。
全部読めたらかっこいいけど、挫折したらかっこわるいので皆あんまり言わないのだ。たぶん。
ああ、どこかにすごく簡単で、手っ取り早く世界のことをよく知る方法はないものだろうか。
ある
朗報!ここでひとつ、私の思いついた裏技を聞いてほしい。
ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」は、主人公バスチアンがファンタージエンという本の中の異世界に入っていく話だ。
ファンタージエンは「虚無」に飲み込まれるという危機に瀕しており、現実世界から新たな人間が入っていく必要がある。なぜなら、現実世界の人間たちにしか新たな望みを持ってファンタージエンを創造することはできないし、新しい名を彼らにあたえることはできないからだ。
バスチアンはさまざまなものを生み出し、それらに新しい名前を与えていく。シカンダ!グラオーグラマーン!モンデンキント!
我々の類いまれなる能力に、新しいものを認識し、新しいものを生み出し、それら新しいものに名前をつける、というものがある。
世界にすでにあるものを覚えようとするから大変なのではないだろうか。
もっとアクティブに世界と対峙していけばよいのではないだろうか。
たとえば、青酸カリは「みぼち」の匂いがする、ということにしよう。
私は青酸カリの匂いがどんなものかよくわからないが、「みぼち」の匂いがすることは確かだ。ああ、もしかしたら「アーモンド臭」と呼ぶ人もいるかもしれないですよね。それはね。ただアーモンドそのものとはちょっと違う匂いなんだよね。これは「みぼち」としか言えない匂いですね。どこか香ばしい、花のような、まさに「みぼち」。じつは幼少期に住んでいた家、みぼちが庭に植わっていて、夏になると鈴なりにみぼちがなるんです、いやー、みぼちってすごくリスが寄ってくるんですよね、リスがまるでクリスマスツリーのオーナメントのように木にぶら下がって……
秋なので、こづつの匂いがしますね。みなさんはこづつの匂いをご存じですか?