バーの存在価値としての自由さと不自由さ

今日の三井君
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精神が荒んでいたので友人を誘ってご飯を食べてきた。空腹なのに食欲が無く食べたいものが分からないという精神状態で、さすがにこれは良くないと自覚しつつも『いま外に食べに出て何か悪いことがおこったらどうしよう?』という念が湧いてきて外出もままならないという最悪な状態だった。そんな状況を打開するため最も安心安全でフッ軽な友人に「きょうひま?」とメッセージを送り、1時間後に家を出た。

前述のとおり私は何が食べたいか分からなかったので友人の希望でたこ焼き屋に行った。たこ焼き屋に入るのもなんだか不安だったけど頑張った。なんちゃないたこ焼き屋、なんちゃない店内、なんちゃないたこ焼き、なんちゃないハイボール。何も問題無し。少しだけ安心した。精神状態が良くないことを報告し、不安だなーどうすればいいのかなーと独り言ばかり言っていた。友人は日中寒かったのにゴルフをしてきた帰りらしい。いつのまにか休日に仕事仲間とゴルフを嗜む大人になっている。戦慄する。そんなアクティブに活動して疲れた帰りに私に付き合ってくれてありがたい。

適当に腹を満たしてたこ焼き屋を出てなんとなく飲み直すために商店街の方に歩いた。私はバーが好きなので良さげなバーに行きたいという思いがある。2分も歩かないうちに見慣れない看板が目に入り、ひっそりとした路地の奥のひっそりとした雑居ビルの2階にあるバーに入った。全然上品でもないしオーセンティックでもないバーだった。占いバーみたいなコンセプト(?)らしくテーブルに着いたお客がみな静かな声でスピリチュアルな話題に花を咲かせていた。店主も客に混じって話に参加していて俗に言うアットホームなお店を体現していた。

私はバーの自由さが好きだ。メニューに無いお酒でも言えば出てくるような自由さがたまらない。というか、メニューに無い酒を常備してるというシステムもよく考えると意味不明だがそこが良い。バーもさまざまで、着席した時にメニューを出してくるところもあればメニューが出てこないところもある。一見だとメニューを出してくれて、馴染んでくるとメニューが出てこなくなるバーもある。メニュー表は無いというバーもあって、私はそれが普通だと思っていたんだけどそうでもないらしい。

その日入った占いバーはメニューが無いバーだった。店主が「ごめんなさい、いまメニューが無くて」と言っていたので何かイレギュラーなことが起きていたのかもしれない。メニューが無い場合には棚に並んでいる瓶のラベルを目視して注文するスタイルになる。または自分の好みの銘柄の名前をとりあえず挙げてみて、それがあればそれを飲みそれが無ければそれっぽいものを飲むというスタイル。なんでもオーダーできるがそれが在るとは限らない。それって自由か?とふと考えた。とても不自由な気もする。が、その不自由さがとても気に入ってそのバーに好印象を抱いた。

その不自由なバーにはカウンターにルービックキューブやオセロが置かれていて、友人とオセロをしてボロ負けした。棚に並んでいたメイカーズマークをオーダーしてロックで飲んだ。そのメイカーズマークは封蝋が(通常の赤色ではなく)緑色で、ミントのフレーバードのお酒とのことだった。乾き物のおつまみが提供され。それ以上何かフードメニューが在りそうには無い雰囲気があった。飲んでいる途中で座っていた椅子が壊れてしまい店主に「あー大丈夫、お気になさらず」と言われるなどした。バーに座ってからも相変わらず体調が悪いだのどうしようだの独り言ばかり言っていた。

そうして店を出て二駅ほど歩いて帰ることにした。道中で「あのバーどうでした?」と聞かれ『まぁ普通に60点?って感じだけど、不自由で良かったと思うよ』と答えた。そのバーには私が求めている自由さと不自由さがどちらも在った。自由さと不自由さをもっと上質に提供しているバーはたくさんあると思うが。ともかく先ほどまで居たバーも素朴な形で自由さと不自由さを提供していた。あのバーに何か足し算しても評価点は60点よりも上がらないだろう。自由さも不自由さも在るべきものが無いことによって実現されていることだから。

@todays_mitsui
真面目にやってます