つくることが好き。絵を描けばシャワーを見なくても水の粒が一等すてきだと確認できるし、短歌をつくったら頭にある庭の飛び石がかわいく見える。ものづくりに輪郭を与えてもらっている。だからいろんなものをつくることがやめられない。新しいことをやってみたくなる。自分の輪郭が分厚くなる。ミルフィーユのような表皮はすべてちがう手触りであたたかい。
最初は漢字の宿題だった。「月」が鉛筆に吸い上げられて指に染み込んできた。小さい頃から夜に自分を追いかけてくる月が怖かった。綺麗だと教えられてとりあえず返事をしていただけのものが、文字になることではじめて実感を伴うものになった。小学生のおれはそれに夢中になった。字を書き続けた。書道教室にも通うようになって、文字により一層のめり込んだ。小学三年生の夏休み最終日、母が顔を青くして「漢字帳を間違えて捨てちゃった」と言ったとき、大丈夫だよ、とだけ返して朝まで夏休みの宿題をやった。朝まで漢字を書くことは何の苦でもなかった。はじめて小さい太陽を見た。漢字は書けば増えた。好きなものを自分で増やしていくのがたまらなかった。
次は水彩画。海の近い学校だったから、美術の時間には港で写生大会をすることもあった。最初は言われるままに舟の絵を描いていた。舟より波を描くのが楽しいと気がついて、中学最後の写生大会ではじめて波打ち際だけを描いた絵を提出した。泡立つ水がかわいい、深い緑を入れると透明なものが透明になる、きつい色をさすと海はもっと海になる、光は立体だから影をわかりやすくするとたちまち弾けることを覚える。気がつく、試す、それを別に用意した紙に繰り返した。家に帰っても絵の具でキャラクターイラストを描いていた。宿題のあと、21時から深夜2時までは絵の時間になった。夢中になりすぎていたため、当時のことは正直覚えていない。中学生の頃は夢中になることが目的で、きっと絵を描くために絵を描いてはいなかった。
次はドラム。小さい中学校の、部員も20人ほどの小さい吹奏楽部にいた。打楽器のパートには二つ上の先輩が一人だけいた。先輩が引退してパートが一人になる期間が長くなることを考慮してドラムの楽譜を渡されることが多くなっていった。早急に上手くなる必要があったため、授業の合間の休み時間や部活がない休日にもドラムを叩きに行った。卒業してドラマーをやっている年の離れた先輩がふらっとやってきて、二人で練習することもあった。先輩がバンドをやっていたこともあって、吹奏楽で重要とされるパフォーマンスから少し離れた演奏方法を教わっていた。youtubeの履歴はドラムの演奏動画だらけになった。必要だからやっている、ということをその辺で忘れた。自分の通っている中学校が開いていない日は、母の通勤している中学校について行ってそこで音楽室を借りていた。知らない音楽、知らない技法に出会うたびに鳥肌を立てていたから年中鳥肌だった。自分が知らないことがいつまでも見つかるのがうれしくて、気持ちよかった。表面張力が作用しなくなる音楽に壊されるたび楽しかった。
次は短歌と散文。病気になって一日中横になっていたとき、Twitterで笹井宏之の短歌に出会った。最果タヒの詩に出会った。縦になれないと絵は描けない。でも、短歌や文章はスマホのメモ帳のなかでもつくれるから横のままでもいい。やっと安心できた。絵も音楽も何もないところで、ずっと不安だったから。2021年頃から外を歩けるようになった。2023年頃から思うように本が読めるようになった。自室とスマホ以外から情報が得られるようになった。つくりたい短歌の成分がどんどん増えた。歌会にも参加して、評の面白さを知った。短歌をつくる人と話をすると、世界と自分を隔てるレイヤーがきらきらするから、自分は本当に短歌が好きなんだと思った。よくなりたくてめらめらすることが増えた。短歌のつながりで俳句もつくるようになって、季節がただの記憶の再来でなくなった。視界がひらけていく。どこまで見えるようになるんだろう。
今は新しくラジオをつくろうとしている。音声コンテンツを聴くのも好きで、編集するのも好きだ。ただ、ポッドキャストもラジオも差別表現とか暴言が割とナチュラルに流れてくるものがあって、それにはシンプルに喰らってしまう。パレスチナでの虐殺に抗うためシオニスト企業をボイコットしている影響もあり、自分と社会の溝に愕然とすることがある。Xで設定しているミュートワードは今どのくらいあるんだろう。もういじるのを諦めてしまった。自分は言葉をかなり選んで喋る傾向にあると思う。妹に「喋り方が丁寧すぎて腹立つ」と言われたことがあるので、他人から見てもそうなんだ、と思った(妹はイライラするポイントがよくわからないため、おれはあまり気にしていない)。使いたくない言葉や言い回しがたくさんある。だから自然と自分が聞きたくない言葉が流れないラジオになるのだと思う。そういうものが一つでも増えることに安心したい。今まで夢中になってつくってきたものたちとはちがう始まり方をしているから、どうなるかはわからない。でもつくってみたい。元々お喋りな方ではあると思うから、喋るのも楽しみだし。
手を広げすぎている自覚はある。今は11月に向けて企画展用の水彩画を描いているし、コミティアに向けてZINEの制作もしているし、ノベルゲームの作画もやっているし、短歌も俳句もつくっているし。でも、今ラジオをつくることが自分にとっては必要なんだと思う。声で何かをつくることは、まだあまりやったことがなかった。脳がおもしろくなる予感がする。まだ知らない輪郭が、きっとおれを待っている。
