QiitaやZennといったナレッジ共有サイト、それとnoteにカビのように蔓延ってる情報商材屋の記事で、最近挿絵のようにゴッテゴテに描き込まれた画像生成AIイラストをアイキャッチのように差し挟む記事をちょいちょい見かける。だいたいがプロ驚き屋のイキった読む価値の無いと読んだ後に後悔するようなポエムなんだけれども。
そしてこういうのを見てると、まず「なんでまたそのポンチ絵を挟んだんや?」って疑問が出てくる。そのイラストをそこに置く意味や理由は何なのか?という疑問ね。
というのもその記事のコンセプトや状況説明、文章の”間”を置くのであれば、例えば「いらすとや」みたいに説明のための、簡単だけどすんなりと理解しやすいイラストやフリーの写真を挟めばいいだけど話だ。いかがでしたかブログでさえも現在進行形でやってることだ。
一方で画像生成AIで出力されているイラストは見かけた限り、背景から細部に至るまで描き込みに描き込まれたゴテゴテとしたものだ。そりゃそうだ。人間では不可能なレベルで描き込みを行えるのだし。
でも、記事の中にこれ見よがしに置かれているそのゴテゴテ掻き込まれたAIイラストって本当に有効で必要なものなのか?ってなってる。目が滑るんだよね。情報量が多いから。要は疲れる。余計な情報が視界に入って、記事の文章が頭に入ってこない。そういう意味で書いてる人間のセンスを感じられない。
そもそもナレッジ共有サイトで嬉々として画像生成AIイラストを使ってる投稿者は、そういうことを理解できてないのが多そうだし。あと、やたらどっかで見たような美少女キャラが多い。大方、単に新しいおもちゃでイキってみたくてしょうがないって具合なんだろうね。(※なお本記述では「画像生成AIで出力された何も意味も理由持たせられていないゴテゴテしたイラストを差し挟むこと」を疑問視しているのであって、「美少女イラストを差し挟むこと」に疑問を向けているのではないことを明言しておく。昔あったでしょ、人工知能の学術雑誌の表紙の女の子のイラストにアホが突っかかったバカバカしい騒ぎ)
そう考えるとひとつひとつの要素に理由や意味を持たせて、視界に入ってくる情報量を的確にコントロールしてUI・UXを構築するデザイナーの仕事に、改めて感嘆させられた。
「いらすとや」の「意味や要素を無難な絵柄と必要最低限な情報量でシンプルに表す」イラストって、実はかなりテクいことをやってるんじゃないのかと思わされている。