ツイッター(自称:X)もうやばいね。ダークソウルで言う病み村とか腐れ谷とかそんな感じ。腐れ谷はデモンズだけど。今回はいつやめようか考えてるけど、なんかやめられないなーって話です。
やめようと考えてるけど、なんかやめられない
ツイッターくんとはもう10年の付き合いだけど、気が付いたらいつ見限ろうかという考え始めている。
当時mixiの次に現れた存在で、ギークとクリエイターの新しい遊び場だった印象なのだけれども、東日本大震災から急に風向きが変わって、SNSが新しい機関のような働きをするようになってしまった。
これは個人的な思想なのだけれども、いち企業の、それも外資系のwebサービスに社会的インフラに近しい役割を担わせてはいけないなと思った。
引用RTとという他人に喧嘩売りやすくする機能が追加されて、ツイッタージャパンがトレンドを操作したり、ネトウヨとツイフェミと呼ばれる皆様がたがお気持ちレスバトルを繰り広げて酸鼻極まりない場になり果てた。
そしてイーロンマスクの登場から能登半島の震災に連なる、インプレ目当ての倫理観の欠片も無いやり口による実害の発生と、画像生成AIの登場による見ず知らずの他人のことを平気で特権階級とか言っちゃうクソリプしか取り柄のないプロ驚き屋と無礼極まりないチー牛どもによる、イラスト描きや漫画描きの人々に嫌がらせが始まった時点で、もう底が抜けたって感じ。
というわけで、ツイッターをいつやめてしまおうかと考えている。考えてはいるけど現状まだなんかやめられないなって思ってる。
じゃあなんで、自分がまだこんな蟲毒から完全に解脱できていないかと言うと、日ごろからの付き合いがある好きな絵描きや相互がまだそこにいるから、でしかないのよね。
オープンな場からクローズドな場へ
要は人に対する義理がある。
彼らがmisskyやbuleskyへ移行すれば、躊躇なく主軸を他の場へ移すことができるのかもしれない。でもこうやって考えると、結局自分も「見てもらう」ことを前提としてインターネットをやってるのだなと思わされる。ツイッターからは解脱できるかもしれないが、SNSからはきっと抜け出せない。
でも結局はただの中毒なのかもしれない。
依存症の特徴として病識欠如というのがあり、自分が依存症であることを否定するというものなんですが、まずは依存症である自分を受け入れるところから始めます。
それと、最近はスマホゲームのオフィシャルとかクリエイターや企画者がDiscordにサーバを立てていたりする。最近はこういう動きを結構見かける。
趣味人の繋がりがオープンなSNSからクローズドなインスタンスに移り変わっていく動きもあるのかなと考えています。オープンな場はあくまで最初のとっかかり程度の役割でしかなくなる日が来るのかもしれない。
ゆくゆくは誰彼構わずクソリプで喧嘩を売りまくったり、世にはびこる悪徳を眺めて義憤にかられたい正義の人といった一部のイカレポンチしか、ツイッターにはいなくなると思う。
自分の求めているものは同好の士だと思うので。
あと小官は最後の一人になろうとも、「X」や「リポスト」などと呼ばず、ツイッターが沈むまでツイッターをツイッターと呼び続ける所存であります、イーロン閣下。なんと、「いいね」と「リツイート」の数を表示しないのでありますか。それは良い考えであります、イーロン閣下。
ついでに「いいね」も「ふぁぼ」に変えましょう、イーロン閣下。